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2009/9/2 天津の月天津8泊のプチ留学から戻ってきました。遊びが大半、学習は少しの滞在です。
宿泊した留学生会館はもとのまま、あのような設備でした(笑)。シミだらけの床、誇りっぽい衣装棚、流れてくれるかどうか疑わしいトイレ、黄色い湯・・・。やはり停電と停水にも遭いました。
授業は簡単で、初級から中級向け。でも中国の老師のプロ意識には感心させられました。日本にあのようなやり方の授業をする人がいたら、きっと人気抜群だと思います。楽しく会話練習ができました。
でもやはり、街での会話の方が収穫でした。新疆や雲南の料理を食べ、狗不理包子を食べ、西南村のラーメンを食べ、果物もたくさん食べました。以前家庭教師をやってくれた若い女性にも会って一日付き合ってもらいましたし、楽しい一週間でした。
天津の街は、4年前に比べ美しくなっていて、タクシーがみんな水色のカローラに変わっていたのも驚き。が、やはり中国は中国と言う感はぬぐえません。
同行した人たちは、奇人変人のご年配が多く、困惑することがままありました。いくらなんでも自分の名前の中国語読みくらい出来る人でないと・・・。まあ、旅行社主催であり、南開大学も空いている夏休み中に稼げることでもあり、どのような方々でも「お客様」なのでしょう。
さて私は、これからは「楽しみながら」の学習に切り替えます。今回天津で見た月は三日月でした。形を変えながら、でもやっぱり月には変わりないのと同じように、私も形を変えながら、中国語と中国に興味を持ち続けることでしょう。
2009/8/13 はかない・・・
はかないのであります。実にはかない。 は? ハハハ、本当は歯。
歯がない! のであります。
昨夜、おいしい懐石料理を食べておりました。おいしいアナゴを一切れ口に入れたときでした。
ガギッ
と、音がしたと思ったら、ん?
ポロッ
下の犬歯が折れました。
差し歯だったんです。それが劣化していたんですね。やわらかいものでも折れたということは、何を食べてもいずれこうなったことでしょう。
困ったことに、歯医者さんはどこも盂蘭盆の休みに入ったばかり。電話しても出ません。17日以後からしか予約はできないのです。
22日から天津に行く予定なのに、それまでに治りそうもないし・・・
鏡を見ると、そこだけお歯黒したみたいです。美女だいなし・・・(妹が笑っていました。夏だから怪談話をするとピッタリだ、って。くーっ、)。
ああ、ああ・・・グシュン。
もうもう、腰は悪いし、わき腹か痛いし、足はしびれる。昨日は、CTをとる予約をしたばかり。そんなときに。わるい時にはわるいことが重なるものです。神も仏もないとはこのことです。
でもねー、気を取り直して思いました。おしいものは食べられる。ビールも飲める。不平を言ってはいけない。根気よく、老化してきた自分の身体と付き合うより仕方がない。
どうせ、人の命なんて、はかないもの。歯がないくらい!!!
2009/7/31 のら猫猫が来る。毎朝、私が起きるのを待っている。裏口のドアを開けると、ちゃんとそこに。
家に犬がいたとき、ドッグフードを横取りに来ていた。犬がいなくなっても、家に残っていたドッグフードを鉢に入れておいた。その習慣がいまだに続いている。今は、ちくわとか残飯である。
けれど、なつかない。こちらの顔を見ると、ハァーッ!と大きく口を開けて怒る。怒るけれど、ご飯は食べる。いつだったか、魚を手のひらに乗せてやろうとしたら、やっぱりハァーッ!と牙をむき出しながら手を出した。一瞬だった。バリッと引っかかれたのだ。ケモノである。
その後も、どのように接してもなつかない。なのに、なぜ与え続けるのかと言えば、子猫のお母さんだからだ。たまに、ちっちゃな二匹の子猫が(今は大きくなったが)ついてくることがある。ついてこないときは、ちくわを忍者の巻物よろしく、くわえて運んでいく。
最近、子猫を連れてこなくなったところをみると、子猫は独立したのかもしれない。それで、このままご飯を与え続けるかどうか迷っている。
ミケ子と名前をつけた。既得権というか、私もどこかでミケ子になってやしないか、ふと考えることがある。
2009/7/14 発表が済んで
毎週火曜日に行く中国語教室は、毎回順番に誰かの発表がある。テーマは何でもよく、5分か10分、みんなの前で、中国語で話すというもの。今日は私の番だった。
しかし、なんか、長すぎる作文を読んだという感じ。老師は内容を理解してくれて、笑うべきところで笑ってくれたけれど、他の人は反応がなかった。だいたい、ネイティブの言葉が多少わかる程度のレベルとき、へたくそな日本人の中国語は聞き取れないことが多い。だから私の話した中国語を受講生は少ししか理解できなかったろう。
案の定、老師も同じことを思ったらしく、あとで翻訳を言わされた。
でも、再び大学生になったようで、私としては気分がよかった。人が話しているのを聞くよりも話す側の方が気分いいとは、私って身勝手な人間なのかも。
ダメダメ、人の話をよく聞くように努力しなくては。でないと一方通行の会話をしているお年寄りと同じになってしまう。人の話を聞くのは大事なことだ。
気分がよかったけれど、反省しきり。
2009/7/12 夏到来数日前から蝉の鳴き声が聞かれるようになりました。まだ散発的ではありますが。 朝顔も咲き始めました。 これはメランポジューム。 ![]() 庭の排水溝に土や落ち葉が溜まっていたので、今朝さらえていました。大きなミミズさんやムカデさんに出会いました。そのたびに、ぎゃぁっと騒いで。ああ~、蒸し暑くて汗びっしょり。 「においばんまつり」。いい香りがします。 ![]() 花も咲きますが、草も伸びる。草取りには苦労します。でも雑草の小さな花も好きです。ネジ花が芝の真ん中で咲いていたので、写真を撮ろうとしているうちに花が終わってしまいました。あの花、野草ですが面白いので好きなんです。残念。 ![]() ハマユウ。10日ほど前に撮ったもの。 風通しが悪いのか、軸を虫にやられて今は花が全部しおれてしまいました。 花の色はうつりにけりないたずらに わが身世にふるながめせしまに あれ、間違ってるかな? 虫も花も短い命を、与えられたそのままを自然体で生きています。 命は終わるから次が生まれる・・・ もしも人が死ななくなって、みんなずっと若いままだったら、そりゃぁ、地球は大変なことになるにちがいありません。第一、面白くもない人生でしょうねぇ。 などと、バカなことを思ったりしています。 2009/7/3 晴れたり曇ったりこのところ心揺らいでばかりいる。ソウとウツだが、ウツが多い。人のちょっとした言葉に気分をよくしたり、ふさいだり、ふさいだり。自分が思っているほど、人はこちらのことを気にしていないということは分かっているけれど、ちょっとしたことで心の様子は、ころころ変わる。
でも気を取り直して、きょうはHSKの講座に出かけた。いつものようにあんまり出来ない。それは承知のこと、平気だった。終わるまでは。やはりその後のちょっとしたことで曇ってしまった。
私なんて、と思う。何もかも中途半端で。中国語も詩も、そのほか何もモノにならず、不器用で字はへたくそで歌は音痴で、ナマケモノで飽き性、遊び好きで飲んだくれで・・・。私など生きている価値なんかない・・・と思うくらい落ち込んでいく。
一人暮らしゆえの寂しさからか・・・いえ全くちがう。不思議なことに淋しくないのだ。暇でも忙しくても、どちらのときも寂しくない。以前は寂しさを感じていたときもあったが、今現在は、正直一人がいいと思っている。彼も何もいらない。気楽が一番いい。でも友だちは必要だし大切ではあるが。
こういう状態って、なんだろう。全く自分に自信がない。しばらく飲まなかったのに、また夕食時にワインを飲み始めた。
しかし、人前ではニコニコできるくらいの状態である。そうたいしたことはない。いや、たいしたことあるか。こうやって書き込んで、自分はものすごいダメな人間だけれど誰か肯定してください、と言っている私は、やっぱりたいしたものかもしれない。 いや、単なるアホだな。(~o~) 2009/6/22 HSK受けました昨日の日曜日はHSK(漢語水平考試)でした。累死了。死ぬくらい疲れたって、文字の通りです。
中国は科挙の歴史があります。あれは過酷な試験だったようですが、HSKはそういう歴史からあのような長時間の試験を実施するのだと思えてなりません。2時間25分休みなし。始まる30分前には着席していなくてはならず、終わってからも全員の問題用紙を回収するまで出られません。約3時間は缶詰です。(トイレは行けますが、私はそんなことしていたら問題をやりきることができません)
体力がなくては受けられない。つくづく思いました。
聞くところによると今月は中国では大学試験の月(すでに終わっています)。以前は7月に実施されていたのですが、暑さで試験中に体調に異変をきたす人が続出だったので6月に変わったのだとか。でも、今も受験会場の外では救急車が待機しているそうです。
それとは較べるようなものではありませんが、HSKは私にはもう限界かもしれません。特に60分の閲読など、持続力が全くありませんでした。日本人にとって閲読は一番点数が稼げる科目なのに。
しかし、会場で大学の中国語の先生feng老師に出会ってしまうし、なつかしい若い同学(同級生)にも会いました。若い人が卒業してからも頑張っているのを見ると、こちらも元気になります。そして、いま通っているHSK講座の同学たちも6人くらい見かけました。みなさん仕事があるのにとっても頑張っています。
まあ、私は昔から「泥の縄子さん」なので、前日になって模擬を一度だけ通しでやってみて、能力が落ちているのにガクゼンとしていたわけで、今日の試験は当然ながら糟糕です(めっちゃわるい)。
学習方法を変えようと、いま思っています。学習方法というより、「たのしみながら」の学習でよいと、考え方の方を変えたわけで。
でも、私のことです。結果が郵送されてきたら、またひどく落ち込むことでしょう。そして、しばらくしてまた思いなおす? こんなことの繰り返しです。
こんなものかな、生きてるってのは(*^_^*)
2009/6/12 ボケとドジ
なんかなぁ・・・
預金の切り替え手続きに、地元の銀行の人が家に来てくれた。用紙に、前日の日付を堂々と書いてしまった。「今日は10日ですね」と大きな声で言ったのに、銀行の人も気が付かなかったけど。
しかし、今日が何日なのかはっきりしないなんて、これでは高齢の母のことを笑えない。
ボケが始まっている?
夜寝る前に、歯を磨いていた。なんかヘン。どうして今日は泡が出ないのよ。
ん? んんん!
あっ、これって。
エーン、日焼け止めクリームで歯を磨いてたんだ。うへっ。
慌てて、三回ほど本物の歯磨き粉(粉じゃないけど)で磨きなおした。だって日焼け止めクリームって油だもの、しっかり歯にくっついていた。
なんてこと(@_@;)
歯磨きのチューブを立てて入れてあるコップに、同じような大きさ、形の日焼け止めクリームを入れておいたのが間違い。眠かったもんね、うっかりと。
口を何度もすすいでおいたけど。気持ち悪かった。
これはボケか、もともとのドジか。
きっと両方なんだろうなぁ。
2009/6/5 どこに行くのかゴーギャン展を見た。 若いときにモームの「月と6ペンス」を読んで以来、ゴーギャンの生き方には惹かれるものがあった。
本やメディアで知らされる彼の作品の印象は、厚みのある大きな足のタヒチの女性だった。そのとおりの絵が展示されていたが、おもしろいのは初期の作品で、ゴッホなど印象派の影響を色濃くうけているものがあった。独自のスタイルが定まる前というのは、誰しもほかから吸収して成長するもののようだ。
一番有名な大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」がやはり圧巻だった。しかし、南の島で描いたのに、意外に色調が明るくない。どろどろと悩める人間がそこここにいる。楽園を求めて行ったはずのタヒチなのに。
この大作は、哲学的な題名で随分得をしているように思える。みんな考えたいのだ。「我々は何者か・・・どこへ行くのか」
さあて、人は、どこにいくのだろう。ゴーギャンの生きた時代も現在も、また将来も人類が考え続ける命題のようだ。
私が考えたこと・・・・、 「我々はどこへ行くのか」 第4氷河期の間氷期だという今。いつかは消滅する人類の、花火みたいな時期。いずれは無に帰るのだろうな。
2009/6/2 恐ろしい話
庭の植木鉢をどけた。
すると・・・
きゃあ!!!
百本の足を持つ、あれがいた!!
む、ムカデ。
寒気ぼろが出た。 体長7センチほど、くねくねと逃げていく。 あ、そっちは家の裏口。こんなのが家に入ったら夜も寝られない。
ぎゃっ、ぎゃっ!!!!!
持っていた移植スコップでぽんぽん・・・・
叩いて、つぶして、
いやぁ!!! と、また叫ぶ。
ああ、怖かった。
ああ、なんて恐ろしいのだろう
・・・・この私。
2009/5/30 食ってやる!! (●^o^●)真夜中、誰もいないキッチン。
プツプツ音がする。
ん?
パっと明かりをつけると・・・・
アサリだった。
いっせいに潮を吹いて引っ込む。
ご近所の人からいただいたアサリ。わが家のすぐ近くで獲れたもの。ご近所の方は潮干狩りが大好きで、潮のいいときには必ず海に入って獲ってくる。70過ぎの老夫婦のたのしみ。
それを分けていただくお陰で、私は一年中アサリというものを買うことがない。塩水もきれいなものを汲んできて、砂も一粒残らず吐かせてある。
そう、石垣りんさんの詩を思い出した。シジミとアサリのちがいはあるが。
「夜が明けたら ドレモコレモ ミンナクッテヤル」
そう、誰にもいろんなことがあるけれど、
「食ってやるぅーーー!!!」
2009/5/17 抜けられないけれど昨日はラシックで辛くておいしい麻婆豆腐を食べておりました。大学で友達になった中国人のL君と二人で。L君はすでに結婚。彼女も誘ったのですが、あいにく仕事でした。
一年ぶりなのに時々メールや携帯で連絡をしていたので、あまり久しぶりのような感じはしませんでした。傍目からはお母さんと息子ですね(*^_^*)
いろんな話をするうち(名古屋市の市長さんが導水路事業撤退を表明したことから)水道料金のことになって、「日本人は水を使いすぎる」とL君は言うのです。「僕が子供のころは朝と夕方の二回しか水は供給されなかった。それでも暮らしていけた」と。彼の故郷は瀋陽です。
まあ、それはそう。水がこんなに安全に豊富に供給される国はそうありません。あの天津で暮らした4ヶ月、よく断水しましたし、水が黄色いので、私は一度もバスタブに浸かりませんでした。シャワーのみ。日本に帰ったとき、お風呂の水が透明なことにひどく感激したものです。
いまの日本人は、なんでも便利で豊富なことに慣れきっています。でも、そうかと言って、昔のような暮らしに戻れるはずもありません。どちらがよいのかわるいのかも、そう簡単に判断できませんし。
L君と彼女は堅実そのものの暮らしをしていて、私も見習わなくてはとよく思います。日本人がはるか昔に忘れてしまったようなことをはっと思い出させてくれるときがあります。今の暮らしが贅沢なものだということを知るのはやはり外国に行ったときか、こうして外国籍の人と接するときです。
この暮らしからは抜けられないけれど、当たり前だと思っていることがそうではないということもあることを認識していたいです。何も思わない生活よりはましではないかと思うから。
2009/5/10 ポイント、そしてカード社会QUOカードが二枚送られてきました。ふつうに電話料金を払って、ポイントがたまったのでQUOカードに替えただけです。でも、ネットで光フレッツのCULUB NTTwestの会員になって請求しなければいつまでたっても貰えません。ポイントには有効期限もあります。
こういうのは知らないとそのままです。面倒くさくって請求しない場合も同じく。
それとは別に電気料金と電話料金をカードから引き落としにするとポイント加算されて、それは私の場合、インターネットブロバイダの料金と交換します。そのほか、そのカードで買い物をするとポイント加算されて実質値引きになります。
やはり知らないとそのまま。手続きをしないとそのまま。
この仕組み、いったいどこが儲かるのでしょうか。私の場合、カードでお金を借りることはまずありませんし、そうやたらに買い物もしません。こんな仕組みではなかったら、ふつうに銀行引き落としで公共料金を払いますし、現金で買い物をしています。だって、後になって請求書が来るのはいい気持ちがしないものです。
他には、ネットで買い物をしても楽天もAmazonもポイントがあって、そのまま次に値引きしてもらえます。
QUOカードが貰えたのはうれしい。庶民のささやかな愉しみです。でも、待てよ、と思います。こんなことをしないで初めから値引きしてくれればいいと思いますし、ネットのできない人はこの恩恵?に与れないではないかと。
スーパーに行ってもカードでポイント、衣類を買ってもお店ごとにカード。ポイントが貯まれば金券または値引き。こうして私の免許証入れやお財布は、カードで太りに太っています。どれがどこのカードだか分からない時も。
なんかヘン。こんな社会はヘン。そう思いながら、カード社会にはまり込んでいくような気がします。しっかりと立って見張っていないと流されていきそうで怖いと思っています。
2009/5/7 五月の雨三日連続で雨です。 今日あたり止むだろうと思っていたのに、夜までしっかり降り続けるらしい。庭のジャスミンが雨に打たれても香りを漂わせています。
連休が明けて、今日はさっそくHSKの講座があります。聴力の復習テストがあります。覚えていないです。できないです。
もっぱら私の悩みは、着ていくもののことです。なに着たらいい?寒がりの私はセーターでもいいのですが、見た目があまりに・・・
そんなことで悩む場合じゃないのですけど。先生は「ジャートン同学、覚えてきませんでしたか」と言うでしょう。ちがうのです。覚えられないのです。頭に入らんのです。私が大学でレポート試験が好きだったわけです。記憶力を要する筆記試験はダメでした。
雨です。しっかりと。水に流れても流れても、記憶の底に言葉が残るまでやってますか。しかし、そのころは生きていないに違いない(笑
さて出かけよう。何かをしている途中で、パシャッとシャッターが降りるように人生が終わったら最高・・・と思うから。
2009/5/5 雨だから
雨だから、どこにも行かず・・・なんてウソ。休日はどこに行っても夫婦連れを見るからいやなのです。未だに。
で、お布団の整理をしていました。雨なのに。
わが家には布団がたくさんあって、押入れを占拠しています。数年前に義姉夫妻が長野でリンゴ園を始めた時、かなりたくさん貰っていただいたのですが、それでも。
羽毛のものはまだいいとして、昔ながらの掛け布団、どうしようというくらいあります。ほかに毛布やら夏布団やら。捨てるのはもったいない。けれどどうしようもない。
以前は従兄弟の家族や夫の甥や姪がしょっちゅう泊まりに来ていて、リトルインディアンの家みたいだったのですけど、今はそれもなくなり、訪れるのは雨音、風音くらい。あ、ヤモリも来るか。
雨まだ降ってるみたい。今日はもう寝よう・・・ 2009/4/27 まばたきする間に2009/4/1 サクラソウ
きょうは(もう昨日)、父の7回忌でお寺に行った。私と妹夫妻の3人だけの内輪の法事。父は末っ子で、父の兄はまだお二人存命。でも高齢のため(お一人は98歳)、遠方まで来ていただくのは心苦しく、そのほかの親族も病気や多忙の方ばかりなので、それも心苦しく、案内は出さなかった。それで平日の行事となった。
私の父は、亡くなる前の数年間はパーキンソン病とパニック症候群だった。けれど寝込むことも入院することもなく、いつものように(ごく少量の)夕食を食べて、お酒もお猪口に半分くらい飲んで、いつものように寝て、明け方私が見回りに行った時にこと切れていた。
なんと幸せな、と人が羨ましがった。
私は中学生のころから父とはずっとうまくいっていなかったが、このごろは、それさえも父を偲ぶ材料となっている。過ぎていく時は思い出を美しくさせる作用があるのだろう。
2009/3/27 終着駅は出発ロビー
夕方、空港まで行って来た。電車に乗って終点に着いて、そこが空港。
別に用はなかった。ただ行ったら何とかなりそうな気がして。
同人誌の締め切りが来ていて、書けなかった。
一篇は書いたのだ。でも、もう一つ別の同人誌も締め切り。いえ、もう時期がとっくに過ぎている。言葉が枯渇しているというか、無理しないと出てこない状態。これではいけない、どこかに風穴を開けなくては、と。
デッキは風が強く、冷たかった。こんな風は困る。すぐ引っ込んで、出発ロビーを俯瞰できる喫茶店でコーヒーを飲んでいた。それから別の店でお粥を食べて(ビールも飲んで)、帰ってきた。
で、書けるかというと、それが・・・。けっこうてくてく歩いて運動になった。それが収穫と言えば収穫。あ、そうでもない。やはり詩を書き続けようと思ったこと。ここ数年、詩なんて書けなくてもいいや、と思ってきた。それより大切なことがたくさんある。まずは、自分の生を愉しむこと。そう思ってきた。
でも、書くことは、私にとって生きていることを確認すること。そう確認した。まあね、三流か四流というより、名もない地方の「我流」ではありますが、やめないでおこうと。
2009/3/16 なまけロボットの旅母が老健に入ってから、私は一人暮らし。朝起きて、ゴミを出して、朝食を食べたら洗濯、そうじなどこまごまとした日常の家事をこなし、そして庭の花に水を遣る。
誰とも話さず家の中にいると、天空の城ラピュタに出てくる庭師ロボットになった気分。違うのは夜ワインを飲んでうたた寝するナマケモノ、掃除機はホコリが目立ってきてからしかかけない、ぐうたらのところ(随分ちがうか)。 でも機械にセットされたように、だいたいこれまでと同じように家事をやっている。誰のためでもなく自分のため。苦痛ではない。独りもまた愉しい。
けれど、こんな生活も長く続けば飽きる。
腰痛もよくなってきたので、数日前、岐阜県まで詩話会に出かけた。他人の作品の評は困ることが多いので、合評会よりも講演を目的として。
講演は、岐阜県在住の詩人による「パレスチナへの旅」だった。この方の講演は以前にも聞いたことがあり、なかなかよい。
戦禍で大変な目に遭っているパレスチナの子供たちのため、何かしなくては、と実際に出かけていく行動力はすごい。そして日本で一般的に受け取られているパレスチナとイスラエルの紛争に関する認識のズレに関する説明もわかりやすかった。
日本から遠い地域であるだけに、痛ましい戦禍にも日本人は感心が薄いのかもしれない。日本人の良心は「こうしている今も、世界のどこかで紛争があり、一般市民、子供たちが犠牲になっていることを忘れてはならない」と思う程度のものであるということの淋しい現実。
講演内容は主にパレスチナへ出かけた二度の体験だったが、おだやかな語り口、ごく普通の高校教師で家族を愛するパパであるその人のどこから、そのエネルギーが出てくるのか。
さて、私は何をしたらいい。自分の小さな周辺のことだけで精一杯の生活を反省。いつも反省はするが、世界の平和のために自分に何ができるか考えてみるとしますか。
錆ついたなまけロボットも、岐阜県まで旅をして考えたのだった。
2009/3/6 シンちゃんは元気母のところに週に二回行く。用事のあるときはこのほかにも行くが、基本的にはお風呂のあとの洗濯物を取りに。母と一時間ほど一緒にいて戻ってくる。このほかに妹がひょっこり顔を出している。
母、シンちゃんは元気。家に帰りたいとも言わない。けれど、トイレ通いは家にいるときと同じらしい。行きたいとなったら今行ったばかりでも「行く。もれちゃう」を連発。諭しても「やだぁ!」。子供と同じ。
職員の人が言うのには、気が紛れている時はトイレのことは忘れているそう。これも家にいるときと同じ。一日中車椅子なので、早々とお尻にジョクソウができてしまったのだけれど、横になっていたほうがいいと言っても聞きわけがないらしい。これも家にいるときと同じ。職員の方はこぼしておられた。無理もない。
でも家と同じにしていられるのならいいのかもしれない。母が安心してそこにいるということだから。職員の方には面倒をかけるけれど。
帰りは「バイバイ」と手を振ってくれる。同じようなおばあちゃまが集まっている談話室から去るとき(おじいちゃまは一割もいない)振り返って母を見る。自分で勝手に動いてはダメと言ってあるのに、また自分でトイレに行こうとしている。でも、帰ってきてしまう。後ろ髪を引かれる思いとはこのことかも。
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