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日志


2009/1/10

玩具

 津村節子の小説に『玩具』があった。内容は大部分忘れてしまったが、板前が、生きている魚の内臓を傷つけないように残して身をそぎ、頭と骨だけで水槽の中を泳がせて見せている・・・というようなグラビア写真を話題にしているところが印象に残っている。

 

 胸のところをすっとかみそりで切られたような痛さを感じた。

 

 妙なことを思い出した日。外は薄ら寒い曇り空。暖房利かせて部屋にこもり、水槽の中にいるみたいな気分。

2009/1/8

時代の変化

 世界的な経済不況にあって、日本の企業は、企業を守るために派遣社員をあっさりと切り捨てている。派遣とはそういう身分のものだとは言え、気の毒でならない。社宅を追い出され、すぐにでもホームレスになってしまった人がテレビに映し出され、年末年始は、炊き出しの食事を有難く食べているところなども放映されていた。

 

 突然の解雇とは、なんと理不尽!!

 

 が、一つだけ私には不思議に思えることがある。人それぞれ事情がちがうので、一束にして語るのは間違っているとは思うが、ただ素朴に思うのは、「この人たち、貯金が全くないの?」である。クビ、即ホームレスの構図が私には理解できない。派遣社員は、そこそこに収入があったはず。それをすべて使ってしまったの? 若い二十歳そこそこの人なら、学校を出たばかりだからまだ分かるが、そうではなさそうであるし。

 

 私は団塊の世代。私が結婚した当時(30数年前)は、生活費(ほとんど食費が占めた)だけで精一杯のお給料でも、僅かながら預金を心がけていた。思い出せば、新婚のあの団地で、初めは電話も引いていなかったし、車などもちろんなかった。お風呂を沸かすガス代も節約して・・・でも不便を感じなかったし幸せだった。あのころは、日本の経済も成長期にあったし、派遣社員などという名称は聞いたこともなっかったから、よい時代だったのかもしれない。

 

 時代が変わったのだと感じる。現在は携帯電話やインターネットの費用など、昔はなかったものの費用が要る。そして消費社会。みんなお金がなくても我慢をしない。また、消費がなければ景気がよくならない。よくならなければ雇用もない。この循環、どこか変だと思う。

 

 堅実が美徳だった時代は過ぎ去ったのだろうか。政府は定額給付金を出して消費を促す方針のようだが、そのようなことをして、みんなの心が豊かになるのだろうか。現在のこの時代の在りようが不安でならない。

2008/11/24

哀しみというシミ

 シミは私の顔にいっぱいある。20歳のころのあのすべすべのお肌の私から、こんな賑やかな顔は想像できなかった。歳月はひどいことする・・・

 

 まあ、冗談はさておき、

 

 このごろ、訳のわからない理由で無関係の人を傷つけたり殺したりする事件が多い。そういう人たちはなぜか派遣社員が多い。不安定な立場からか、精神的にも不安定になりやすいということだろうか。

 

 正規社員になれず、社会に対してひがみを抱いている向きも多いようだ。人の幸せをねたむ人は昔からいたが、一見ふつうに見える人が今ほど簡単に事件を起こすことはかつてなかったように思う。みんなと同じような暮らしができないことの焦りなのだろうか。「みんな持っているから」という、子供が親にモノをねだるときの殺し文句を、今は世の中にぶつける大人が出てきたようだ。

 

 しかし、自分に照らして考えてみた。

 

 実は、やっぱり私も世間一般の幸せが羨ましいのである。見る方向が違えば、人が見たら私も幸せなのだけれど。

 昨日のこと。母の介護を妹に任せて電車に乗った。乗り換えの駅で、偶然、同級生に出会った。奥様とご一緒。聞けば紅葉を見に行くのだとか。もう孫の手が放れたからあちこち夫妻で出かけているそうだ。

 

 「あら、いいですねーー」とニコニコ。けれど心の奥でグラリとするものがある。決して、決してねたましいのではない。自分にはもう手の届かない平穏さを見てしまったことに対して哀しみが湧いてきた。しかも、乗り換えた電車の中で、その奥様は電車が揺れるせいなのか、だんな様の服をしっかりつかんでいる。ああ、仲良し!!! 独り身にはクラクラするような光景。でも「今からがいいときですね。楽しんでください」と。

 

  それはいつものこと。あとは自分の用事に専念・・・中国語を吹き込んだICレコーダーに聞き入る。

 

  今日になって私より少し後で未亡人になった友人のことを思い出した。彼女は、「カラスが二羽いても腹が立つ」と言っていた。誰かが夫の愚痴を言うだけでも、それは「のろけ」に聞こえてしまって腹が立つのだそうだ。

 

 カラスだって、本当はつがいでいたくないのかもしれない。どちらかが付いて離れないのかもしれないし・・・。でも彼女は自分にはもう戻らない幸せの風景を見るのがつらいのだろう。

 

 わかる。よっくわかる。私だって、実を言えば、夫婦で仲良くスーパーで買い物したり、旅行したりする話など伺ったりすることがあると、耳をふさぎたいくらい聞きたくないと思うのである。そして目の前で、だんな様の服の端をつかんでいる仲良し夫妻・・・、ああ。

 

 けれど、けれど、である。そんなことを気にかけていた日には、それこそ世の中を恨んでしまいかねない。自分自身をわざと、奈落に陥れるようなものだ。ぐっとこらえて、にっこり、である。そうしてそのうち哀しいことを忘れていく。

 

 哀しみは他のものに置き換えて、そう、自分自身を肯定しなければ。ささやかでも幸せはいくらでも転がっている。花を見る幸せや空を見上げる時に感じる幸せ・・・そんなものの中に生きている自分を肯定しなくてどうして生きていけようか。

 

  それにしても、現在のこの世相は、哀しみというシミが染み付いた世の相であるなぁ・・・と。派遣などと(効率第一主義の)企業に都合のよいシステムを生み出した世の中にも責任はあると感じる。派遣業など、江戸時代の口入れ屋ではないか。

 哀しみのシミならまだいい。それがどこかでねじれて、「憎しみ」というシミに変わったときに爆発的に事件が起こる。

 どこかに即効性あるシミ取りという鳥でもいないものか(~_~;)

 

2008/11/6

逝き方の選択

歳取るとはこういうことか、と思うのは

訃報に接することが増えたことです。

 

 

幼いころから親しくしていた従兄弟が亡くなって

ここ三日間、岐阜県まで往復していました。

 

 

66歳。定年後、会社の外郭団体に籍を置いていたので、まだ現役。

市長やら副知事まで来賓席にいて、りっぱなお葬式ではありました。

 

が、そんなもの!!!

 

 

生きていてほしかった。

ただただ、そう思います。

 

 

 

この従兄弟、癌だったのですが、途中から病院での治療をやめてしまいました。緩和ケアしながら仕事をしていて、亡くなったのは自宅です。

 

連休の初めだったので、遠くにいる娘夫妻や息子夫妻、孫など全員家にいたときだったそうです。

 

なんと幸せな亡くなり方!

イギリスにゴルフをやりに行くよ・・などと言っていたのは実現しませんでしたが、10月の半ばには私の母の見舞いにも来てくれたほど、ふつうに生活をしていて、なんだか、映画「最高の人生の見つけ方」を思い出しました。

 

 

点滴につながれて、やりたいこともできずに少しばかり長生きするよりよほどいいと思います。

 

悲しい訣れでしたが、亡くなった顔は、まるで微笑んでいるかのようでした。その穏やかな顔に接したのがせめてもの慰めでした。

 

 

 

2008/10/28

我的生日

 ふつう、

女性はある程度の年齢になると、自分のトシを言わなくなるものですが、

それは女性に対する価値観が若さに多くあるから、でしょう。

私も言うのはいやなときがありましたが、いまは大きな声で(小さな声でもいいですが)言います。

 

60歳です。還暦です(●^o^●)

 

そう、きょうは私の誕生日なのです。

 

夫は56歳で亡くなったので、それより4年も長く生きたことは、ある種感慨です。

 

 

よい年齢だと思っています。そりゃ、容姿や体力そのほかもろもろの衰えはありますし、それに関してはいやです。けれど年取らない人はいないもの、仕方がない。

 

私は50代もいい年代だと思ってきました。40代も30代も。つらいこともありましたが、いいこと楽しいことが、それぞれの年代でありました。いつも何かに向っていました。手につかんだ砂が全部こぼれていってしまうように、たいしてモノにならなかったけれど、何かをすることがよかったのです。一歩を踏み出したことが。

 

私が一番だめな時は、20歳前後のころ。ただ若いだけのお馬鹿な女の子でした。

 

 

そんなこんなを振り返って、ああこれでトシが還る。還暦なのだと思います。

初めの一歩、なのです。

 

残された人生(この年齢になって初めて、人生と言う言葉がピッタリ来ると思えます)、現在の混沌とした世界、世の中で、「考えるおばあちゃん」になりたい。でも、できるだけ穏やかに楽しく生きる、を願っています。

 

さて、はて、自分自身に乾杯!!! おめでとう、A子さん! 

2008/9/20

コンビニ再発見

 

 母のいる病院から家まで車で10分あまりなのであるが、その道路沿いにコンビニが数件ある。これまで暗くなってから運転することがあまりなかったせいか、夜のコンビニが意外に賑わっていることに驚いた。私も最近はたまに寄ってみることがある。

 

 私のことだから弁当類は買わない。実は初めはワインを買いに寄ったのだが、ついでに冷凍食品を見つけて買い、それがまあまあの味だったので、次も買うようになった。

 

 以前、コンビニと言えば、弁当しか頭になかった。シャケやミニハンバーグなど入ったあれは美味しくない。まだオニギリや麺類のほうが食べられる・・・と思っていた。大学在学中に、同じ社会人学生の男性の方が、お昼のたびに決まってコンビニ弁当を食べておられるのを目にして、見ていられないほど気の毒になった。なぜあんなものを?

 

 そのイメージしかなかったのに、コンビニで買ったピザ、冷凍餃子、シュウマイなど、今はけっこう重宝している。インスタントのスープも割りにいけた。一人前の分量と言うのも都合がいい。ワインも安いのが私の口に合ったりして。

 

 夜の8時ごろ、店内は若い人が多い。出入りも速い。二人連れもみかけるが、たいてい一人客。おでんやコロッケなど、見ていると一人前を買うにはちょうどいいのである。私も現在は一人。一人前サイズを求めて、ちょいと寄る。

 

 あ、でも、家の冷蔵庫には食糧がいっぱい入っている。どうして買うのだろ。誰が食べるのだ。ストレス解消の買い物癖かな? 食品くらい知れているからいいけれど、一人暮らしの寂しさが表れているのかな?やはり(●^o^●)

 

2008/6/29

振り替え受講

 来週月曜から三日の予定で旅行するため、今週は中国語の授業を振り替えてもらって、水曜の夜と土曜日の今日も孔子学院に行っていた。同じレベルのクラスなら二度まで振り替えが可能ということなので。

 

 いろんな老師がいて、それぞれ特徴があって面白い。どちらにしても中国人の先生は、おおむね元気がいい。社会人の受講生というのは、語学の中でも中国語は年配の方にも人気があって、老師より偉そうな人がかなりいる。元気でなくては務まらないかも。

 

 しかし、偉そうな受講生さんは、的外れなものか、自分の知っていることを誇示しているだけのような質問をすることもたびたびある。そのようなものにも親切に対応する老師は、やはりプロだと感心する。

 

 先日は、「会」と「能」の使い分けを、「なぜそうなるのかわからん」と質問して、老師が説明したら「ますますわからなくなった」と言っている人がいた。ご自分が理解できないことへの「ぼやき」を授業時間中に言っているだけの感がなきにしもあらず、というところ。

  この学院では、いろんな老師に出会い、いろんな受講生に出会う。受講生は、若い大学生から80歳代の人までいて、この世代の差も見ていると面白い。私の母くらい年配の受講生を見かけると、もうそれだけで敬服してしまう。こういところだけ見ていれば、日本は、いまは、平和でいい国なのである。

 

 

2008/5/21

天国からの言葉

 中国のWEB新聞、新浪網の中で見た詩。地震で孤児になった子供に天国の親からの語りかけというスタイル。

 こんなものを見ると涙が止まらない。余計に悲しくなる。献詩というこのコーナーには、この手のものが他にも多く乗っている。誰が作るのだろう。    

 

           爱永相随

 

 自天堂的祝福,写汶州地震中的孤儿。

  

今天要

  孩子你放手

  天国的路啊太遥

  你不能跟随

  爸今天要

  不要你愁,不想你泪流

  以后的月留

  一个人来承受

  天黑了

  你要早点把家

  下雨

  你要知道打

  天冷了

  你小心被山

  夜深

  你裹好棉被自己睡

  受委屈

  你不能流眼泪

  孤单时

  看我照片去回味

  生活的滋味

  你学会独自来体会

  生活的苦

  你要用坚强来面

  孩子的笑

  才是爸的欣慰

  天堂的祝福

  与你永相随

  爸今天要

  孩子你

  松

  拉我的手

 

 泣かないで、子供よ。お父さんお母さんは遠いところに行かねばならない。手を放して。泣かないで。夜は布団をしっかりかぶり、雨が降れば傘をさしなさい。強く生きて。父さん母さんは、あなたの笑顔がうれしく慰めだ・・・というような意味(違っていたら教えてください)。

 

2008/5/14

生きている地球

 中国の四川省で起こった地震。国の規模も大きいけれど災害も大きい。被災した人たち、今も瓦礫に埋まったままの人がいるという。学校が倒壊して子供たちが下敷き・・・なんて、胸が痛む。なんとか速く救出を。

 

 ミャンマーでは大きなサイクロンの被害があったし、自然の力は恐ろしい。地球が、ほんのちょっとまばたきをしたら、人は右往左往。地球は生きているので、地震もサイクロンも人には止められない。人も生きている地球の一部なのだ。

 

 人のできることなど、最小限の被害に食い止める方法や、起こってしまった場合の救助、救援方法を考えるくらい。

 

 いずれにしても人の力なんて小さい。大きな災害が起こるたびに思う。

 

 地球では人が殖えすぎて、そのうち人の吐き出すもろもろのガスで人が中毒死するのかも。それも自然の一環で、何億年か後には、恐竜が繁殖した時期を人がジュラ紀・白亜紀などと分析・考察するように「人という動物が繁殖していた時期・・・人亜紀」なんて、何者かに言われている?

 

2008/5/10

友好ムードに乗りたい

 来日していた胡錦濤主席がきょう帰国した。人のよさそうな顔。まるでパンダみたいに愛嬌がある。でもパンダの目は模様に隠れてあまり目立たないけれど、意外に鋭い。胡錦濤主席もそうかな?

まずは友好ムードの訪日でよかった。

 

 国と国の付き合い方は難しい。それぞれの利害や歴史、民族性などいろんなものが混ざり合って、これっ、という明瞭な答えの出るものは少ない。しかし人と人の付き合いなら、分かり合えるものが多い。

 

 これを機に、私の若い中国人の友に日本滞在許可が出ることを期待している。彼はこの4月、許可が出なくて、いま、改めて別の会社に就職しなおして再度申請をしている。彼は、私がこの春卒業した大学の同級生だ。よい成績で卒業して、日本の企業に就職も決まっていた。真面目で性格もいい。アルバイトをして学費と生活費を捻出しながらの学業だったので大変だったと思う。就職した企業は小さいけれど、ちゃんとした会社だった。彼は許可が降りやすいように、わざわざ中国と関係のある業種を選んだのだ。それなのに、不許可の手紙が来た。

 

 私は憤慨した。彼は、日中国交正常化後の世代で、「一休さん」などの日本のアニメを見て育ち、日本が好きになったという。この彼に許可を出さないでいったい誰を許可するというのか。何という冷たい日本だ。いったいどういう理由で許可が降りないのだろう。彼に聞いたところ、入国管理局は理由を教えてくれないそうだ。杓子定規に決めないで、人をちゃんと見てほしいものだ。

 
 彼には将来結婚を約束した人がいる。一足先に日本の企業に就職した中国人で、その彼女もやさしい。二人とも現在の多くの日本人より、よほど勤勉で地道な暮らしぶりだ。若い二人を引き裂かないためにも、滞在許可を、と願っている。

 

2008/5/1

人はみな孤独なのか

 知り合いの詩人から送られてきた、彼女が書いたという小説。読んでみたら、これがなかなか面白い。サスペンス風で、詩人だけに表現が詩のようでもある。

文面からは、30歳くらいの女性の孤独な様子がひしと伝わってきた。人は孤独な動物なのか。いや、孤独を感じる動物なのだろう。

 

 

明日の映画試写会のハガキがあるので、唯一行けそうな友人に電話したら、夫殿が出て今夜は試写会に行っていないとのこと。映画好きはせっせと行っているのだ。明日の映画は内容が重そうでもあるし、普通の主婦にとって連続の夜の外出はたぶん無理だろうから、仕方ない、一人で行くか。孤独もいいものよ。いっそどっぷり浸ろう。

 

ああ~あ、今日もスポーツクラブに行けたのに行かなかった。気力がねぇ・・・、どっかに行ってしまった。

会費・・・もったいない(~_~;)

 

2008/4/30

レンズのズレ

 合わないメガネを持って、作り直しに行ってきた。途中、ガソリンスタンドの前を通ったら、車の列、列・・・。初め、何事かと思ったが、明日からガソリンが高くなるので今日のうちに入れておこうとする人たちだとわかった。

 

 うむ、並んでいたらガソリンが無駄ではないのかな? 一台あたりどれほど入れられるというのだろう。そのぶん節約して車に乗らなければいいのに、と思うのは私がそれほど車を必要としない生活をしているからだろうか。車を必要とする業者は別として、一般の家庭くらいでは、列をつくって買うこと自体、ガソリンの余分な消費で地球環境にわるいことをしているのではないかと思う。

 

 最近、私は近くの医院には歩いていく。以前は車で行っていたが、歩いてみるとこんな近いところを当たり前のようにして車に乗っていたことに驚く。それというのも中国で4ヶ月暮らしたとき、毎日よく歩いて慣れたせいもある。あのころ宿舎からてくてく歩いて、ちょっとしたものを買いに行った。大学の構内にあった宿舎。門を出るまでにもそこそこ距離があり、どこへ行くのもてくてく。街をよく歩いた。一時間以上歩いても意外と平気だった。むしろ歩くのを愉しんでいた。道路のデコボコ具合とか、道端の物売りとか、珍しくてきょろきょろ、面白くて。

歩くと周りの景色がよく見える。こんな花が咲いているとか、マンホールの模様とか、車では気がつかないことも歩けばしっかり見える。歩くことは楽しいのだ。

 

 生ゴミを捨てに行くのも車でいく人がいるという。車に頼りすぎる生活は健康にもわるい、環境にもわるい。そして家計にもわるい。病気やお年寄りなど歩けない人を除いて、歩ける距離なら歩けばいい。ガソリンの価格によって、一般の人が困窮生活になっては困るけれど、そうでなければ少しくらいの我慢をしても、子供たちに住みやすい環境を残したい・・・

 

 そんなことを思いながら、隣の市まで車で往復した私。6年間で3万キロ乗っていない車だから、私にしては遠出のうちに入る。

 

 メガネは、遠近両用なので、近くを見るときのレンズの度が強すぎたのと、遠方を見るときのレンズの中心が上に少しずれていたせいだと分かった。無料で作り直してくれるそうだ。やれやれ。遠近両用メガネという便利なものも、一つの用途だけのメガネに比べて調整が難しそうだ。今流行の上下の幅の狭いものはなおさら。あれもこれもというのは難しいのかも。

 

  暫定税率うんぬんの是非はともかくとして、あれもこれもは難しい。焦点がどこにあるかで見えるものがちがってくるし。

帰り道も、やはりガソリンスタンドは車の列だった。

 

2008/4/27

用件を早く

  ある人から電話がかかって、いきなり、

「あなたのあれ、読みました。いいですねぇーー」

「え、また読まれたのですか?」

「やはりいいですよ。以前に同じテーマで書いて賞をもらった人がいましたがねぇ、それより断然いい」

この人、3回か4回、同じことを私に言っているのだけれど・・・

「ありがとうございます」を繰り返すよりしようがない私。

いろいろ話した後で、「Kさんの携帯の番号知りませんか」。

 

それを早く言ってください。しかし、しょうがない人だな。内心思いながらパソコンを開く。私の携帯には、新しくしたときにアドレスを移すことができなかったから、今は数人の番号しか入っていないからだ。パソコンのメールから拾い出して、番号を告げると「あなたとは、そのうちご一緒しましょう」。

 

電話を切った後で、なんか、もう、人間不信。みんなウソつきに思える。今は、よほど心休まる相手でないと会いたくないし話したくない。

そんな時に、高校時代からの友人から「遅くなったけれど、あなたの卒業祝いの食事会をしよう」と連絡が入った。こういうのは嬉しい。裏表なく話せる仲間っていい。

 

さて、遅くなったけれど、これから明日の中国語講座の予習をしよう。知り合いになった中国人の人たちも、皆やさしい。彼らと苦労なく中国語が話せるようになりたい。

 

白いツツジ

2008/4/22

合わないメガネ

 4月もすでに22日。時間が竜巻のようにごーっと音を立てて過ぎていく。

 この4月、何もしなかった。やろうという気持ちだけはある。しかし入会して会費を支払ったスポーツクラブも、まだ一度も行っていない。今日あたり、行こうと思えば行けたのに、歯医者だ、電話料金の支払いだとやっているうちに行く気がなくなった。

 

高山へ旅行した。たのしかった。中国語講座は二つ参加している。地域のお祭りでは、家族で食事をしたり、それなりに充実はしている。だが、何かしたという感覚がない。

 

メガネを新しく作ったら合わない。かけて歩けば、まるで巨人で、二階からものを見ているようだ。遠くをみてもごく狭い正面を見なければ焦点が合わない。そんなメガネのように、今の気持ちがある。

 

旅行したとき、帰りの列車で、随分以前の私のしでかした汚点を聞かされた。本人の私は記憶がない。漏らしてはいけないことを漏洩した。だから次の係りの人からは、その場にいなくていいようにした、という。すでに10年近い歳月が流れている。

 

 黒い自分の幽霊がほおを撫でて通り過ぎていった。

 

 記憶の底をひっくり返して思い出してみたら、問われるままに、衝撃の感想を話した気がする。それが誰だったかも覚えていない。人の言葉を正面からしか捉えない私。軽率だった。そして人の言葉を額面どおり受け取ってしまう自分が悲しい。なんとも、おバカだ。いつもそう。ほめ言葉を、後になって社交辞令だと知ったり、おなかの中は逆だったことを知る。私は駆け引きは嫌い、できない。


 メガネをまた作りに行かねばならない。でも面倒。こうしている間も時は過ぎている。街角ではツツジやサツキが鮮やかに咲いている。