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日志


2008/9/26

家に帰りたい・・・

 薬を一種類やめてから、母の意識が目に見えてハッキリしてきた。言葉がよく出るようになって、食事も最初のうちだけは自分でスプーンをもって食べる。

 

 しかし、だからと言って沢山食べられるようになったのではない。相変わらず、一日に換算して500カロリーくらいの流動食を3割程度。以前だと、食べられないと言っても無理やり口の中に入れていたが、意識がハッキリしたぶん、それができない。イヤだ、食べれない、と言ったらもうそれで終わりなのである。プイと横をむいてしまうか、エプロンを自分ではずそうとする。流動食の器のフタを一個ずつかぶせてしまったりとか・・・。

 

 その上、「家にかえりたい」と言う。これを言われるとつらい。いま家に帰ってもらっても自力で排尿ができない、食事も時間をかけて僅かな量だけという状況では、私は困ってしまう。病院からは、まだ退院と言う話しはないが。

 

 今日は病院のソーシャルワーカーさんと話をした。主に、退院後の受け入れ施設のことと、家で看る場合どんなことが必要かなど。

 

 要するにお金を出せば、快適そうな施設はありそうである。そうでないところも、そこそこ費用は必要のようだ。そこそこ必要なところも、たぶんそうだろうとは思っていたが、特養などというところは300人待ち、というくらい満員なのだそう。現在入っている人がお亡くなりにならないと空かないようだ。

 

 で、家に帰りたいという母。駄々をこねる子供のよう。こうなったら家で面倒看るか、とも思う。でも大変そうで続けられる自信がない。家で半分、施設で半分という手もある・・・

 

 などと、あれこれ考えている。「家に帰りたい」も本人の意思であるし。

 

2008/9/20

コンビニ再発見

 

 母のいる病院から家まで車で10分あまりなのであるが、その道路沿いにコンビニが数件ある。これまで暗くなってから運転することがあまりなかったせいか、夜のコンビニが意外に賑わっていることに驚いた。私も最近はたまに寄ってみることがある。

 

 私のことだから弁当類は買わない。実は初めはワインを買いに寄ったのだが、ついでに冷凍食品を見つけて買い、それがまあまあの味だったので、次も買うようになった。

 

 以前、コンビニと言えば、弁当しか頭になかった。シャケやミニハンバーグなど入ったあれは美味しくない。まだオニギリや麺類のほうが食べられる・・・と思っていた。大学在学中に、同じ社会人学生の男性の方が、お昼のたびに決まってコンビニ弁当を食べておられるのを目にして、見ていられないほど気の毒になった。なぜあんなものを?

 

 そのイメージしかなかったのに、コンビニで買ったピザ、冷凍餃子、シュウマイなど、今はけっこう重宝している。インスタントのスープも割りにいけた。一人前の分量と言うのも都合がいい。ワインも安いのが私の口に合ったりして。

 

 夜の8時ごろ、店内は若い人が多い。出入りも速い。二人連れもみかけるが、たいてい一人客。おでんやコロッケなど、見ていると一人前を買うにはちょうどいいのである。私も現在は一人。一人前サイズを求めて、ちょいと寄る。

 

 あ、でも、家の冷蔵庫には食糧がいっぱい入っている。どうして買うのだろ。誰が食べるのだ。ストレス解消の買い物癖かな? 食品くらい知れているからいいけれど、一人暮らしの寂しさが表れているのかな?やはり(●^o^●)

 

2008/9/17

本人の意思

 どうにも食事がノドを通らなくなって、実は「胃ろう」を覚悟した。母はやっとのことで流動食を2割程度呑み込めるだけなのだ。これでは身体がもたないことは素人にもわかる。栄養補給の点滴もしていない。リハビリだけはマニュアルどおり進んでいる。このままでよいわけがない。

 

 今日、担当の医師と母の今後について話しあう機会があった。だが本人抜きの話しである。その前に、母の意思を知りたかった。

 

 「ねえ、母さん。先生とお話しがあるのだけれど、その前にお母さんに聞いておきたいことがあるの。大事なことだから、ちゃんと返事してね」

 

 と言って聞いたこと。

 「あのね、お母さんがこんなに食べれないので、お腹に穴を開けて、お腹からご飯を食べるようにしたほうがいいかもしれないの。そうなってもいい?」

 母は首を横に振った。元気な時から母は、そのようなことはイヤだと言っていた。

 「あのね、首を振っただけではイイなのか、イヤなのか分からないの。ちゃんと声に出してどちらなのか言って、ねっ」

 そしたら母ははっきり言ったのである。蚊の泣くような、息を吐き出すだけの声ではあったが。

「いやだ」

 

つかさず私は聞いた。

「でもね、食べられないでしょう? このままだとお母さんはミイラのようになってしまうよ。それでもいいの?」

「いやだ」

「どっちがいやなの?」

「穴開けるの、やだ」

 

母は眠ってしまってもうそれ以上は聞けなかったが、とにかく母の意思は分かった。

 

 それで、担当医師との話し合いの時間が来た。妹にも同席してもらって、妹の考えも言ってもらった。母本人の意思を伝えたのは言うまでもないが、医師の方が私と妹に聞きたかったことは、つまり「家族はどの程度までの回復を望んでいるのか」だった。以前の母にはもう戻れないことは現状を見ていれば判る。とにかく母には樂に過ごしてもらいたい旨を伝えた。そして、このままではとても家で母の介護はできないこと、母を預かってくれる施設も少ないであろうこと、公的私的介護の手を借りても大変であることを話し、病院はどの程度までを患者として扱うのか、そのようなことも話した。

 

とりあえず、肝機能や血糖値などの検査を一ヶ月近くしていなかったので、それを知りたいこと。他に病気がないか家族としては知りたいのである。尿が出ないのはなぜか、泌尿器科の医師とその担当医と話して欲しいということ。そして、とりあえず点滴をして体力を回復させたほうがいいと思っていること。それは、体力が回復したらまた呑み込む力が出てくるのではないかと、家族のはかない希望的な気持ちなのである。

 

言いたいことを言い過ぎたかな、と思った。途中で医師がカッとしているのが見て取れた。でも言わなければ分からない。患者や家族も状況の変化によって、考え方も変わってくるものであるし。

 

しかし、私としては穏やかに話したつもり。医師も「また何かあれば話してください」と言って、その会合は終わった。

 

さっそく点滴が始まるようだ。実は、点滴を望むのは妹の考え。妹に手伝ってもらわないと母の介護は乗り越えられないから、ここは妹の気持ちを代弁した。とりあえず、この路線でいって、次はまたそのとき考えよう・・・。病院のケースワーカーさんに今後のことについて相談もできることにもなった。今後のことは、また、そのとき考えよう。

 

介護って、自分の身に降りかからないと、その大変さがわからない。今後老人がますます増える日本。高齢者医療のあり方を変えないと、暗い介護列島になってしまう。そんなことをつくづく思う。

 

2008/9/14

生きることの意味

 今日は少し哀しい。母が朝から少量しか食べなかったからだ。夜は3割。すべてトロミつきの流動食で、全部食べたとしても900カロリーしかないという。看護師さんによると、いくら動かなくても1100カロリーくらいは必要だという。

 

 母は、金輪際、開けるものかと言う感じで、口をへの字にしたまま。スプーンでこじ開けて流し入れる哀しさ・・・。目も開けられないのか、帰るときに僅かに開けてくれただけだった。私は精魂尽き果ててしまった。

 

 看護師さんと少しお話ししていたら、水分も取れていなくておしっこの量も一日500CCくらいだという。このままだとまた点滴を始めなくてはいけないか、「ご家族の嫌がっておられること」(胃ろう)をしなくてはいけないだろうということだった。先生がどう判断されるでしょうね、ということで話は終わった。

 

 「今日だけ食べれないのだと思うことにするわ」と私はつぶやいて戻ってきた

 

 しかし振り返って見ると、静脈への点滴を抜く時の食事量は、現在の半分だった。抜く前の話だと、一日に一回針を刺して栄養補給の点滴をするということだったのに、いきなり全く無くしてしまうなんて。今考えると、なぜかと思う。

 

 「胃ろう」なんて! けれど、やはりしなくてはいけないのだろうか。あくまでも拒否した場合、私は母を食べられないまま痩せこけて死なせるということになるのだろうか。

 

病院は何が何でも命を助けようとするところ。けれど人が生きる意味までは考えることは少ない。どんな形でも肉体が生きていることは尊い・・・それが世間一般で「善」とされている表向きの考え方だから。

 

敬老の日を前に

 

 母は数え年で88歳の米寿。市からお祝いとして金一万円が届いた。有難く頂戴したが、本来は母が直接受け取るべき。入院中というのはまことに残念。これでおいしいものでも食べに行けたら言うことはないのに。

お祝金を病院に持って行って母に見せたが、目を閉じたまま開けたくない様子。果たしてわかっているかどうか。なぜにあのように眠たいのだろう。

 

 わが犬、ハチベエ。18歳と半年を生き抜いた。この夏は持たないと思っていたのが、一応、毎朝散歩にいきたがるので出かけている。足腰はさすがに弱って、階段はもちろん上がれないし、まっすぐ立っていることもおぼつかないけれど。それに興奮すると倒れてしまう。目もあまり見えないようだし、散歩以外では寝てばかり。

 

 高齢、万歳!! なのかな?

 

2008/9/8

信じられない!!!(@_@;)

 

 母に夕食を食べさせていたとき、担当医がやってきた。

 

「点滴は、腕からするものも、もうやめました。どうですか、すっきりしたでしょう」

「はい、ありがとうございます」

 

「食事の量は倍になったようですが、どうですか?食べれていますか?」

と、医師は傍らに貼ってある食事量の表を覗いた。

「ええ、まあまあだと思います」と、私。

 

「なんか聞くところによれば2時間くらいかけて食べさせているようですが」

「ええ? そうですか。時間はかけていますけれど・・・」(実際は一時間くらいなんだけれど)

 

「脈の方は安定していますし、これで、お家でも、いや施設でもいられると思いますので」

「え? あのう、おしっこが出てないようで、看護師さんたちに取っていただいているんですが」

「そうですか?」

「はい、泌尿器科からお薬もいただいて飲んでいます」

「あ、そうでしたか?」

 

「抗生剤だそうですが」と、私はついさっきくず入れのかごに捨てた薬の袋を拾い出して医師に見せる。きっと私はものすごい恐い顔をしていたと思う。

 

「まあ、退院のことはそう急いだ話ではありませんから」

「はあ」

「また話し合っていきましょう」

と医師はそそくさと行ってしまった。

 

「・・・・・・・・・・」

 

 ほんとうは母はうんちも一週間出ていなくて、下剤を飲ませたところだった。それを言うまもなく。

 

 

患者のところに来るのにカルテくらい見てきてほしい。担当医が他の科から薬が出ていることを知らないとは、どういう医師であり、どういう病院なのだろう。呆れて腹が立って・・・もう、開いた口がふさがらなかった。

 

 
 今回は成り行きで仕方ないにしても、母も私自身も今後絶対にこの病院を利用したくない。固く決心した。
 
2008/9/5

スープな日々

 スープを毎日作っている。カボチャ、コーン、ジャガイモ、人参、グリンピースなどをスープにしてゼラチンで固めて母のいる病院へ。なんとか食べてもらいたいと思ってつくってみるのだけれど、母が食べるのはごく少量。

 

 今日は和風にして、カツオだしでキャベツと人参、ジャガイモをコトコト煮て、それをミキサーでクリーム状にして持って行った。しかし母が食べたのは二口だった。

 

 いくら少量しか食べなくても、つくる時はまあまあの量つくる。それで家の冷蔵庫は、病院へ持っていかなかったスープがいっぱい。冷凍にもしているけれど、私も毎日スープを食べている。我ながらけっこういけると思うのだけれど、母はとってもまずそうな顔をしている。

 

 その母、今日は点滴が取れていた。首から刺していた針が抜けて痛々しさがなくなった。点滴で取っていた栄養がなくなったので、食事は全量出ていた。これがまた食べさせるのが大変。いやがる母をなだめてすかして、やっと6割。もう初めの一口目から「いらん」なのだ。貝の口を無理やりこじ開けて入れている感じ。流動食なので身体を45度の角度にしておいて、口に入れてしまえば、あとはなんとか呑み込んでくれる。一時間強、母と格闘。ふう~、疲れる。

 

 私は家に帰って、スープを食べながら(ゼラチンで固めるので)、ビールを飲んでいる。他にもおかずは作りすぎて沢山あるから、スープも余る。ふう~、おなかも疲れる。

 

 

2008/9/2

9月になってしまった

 青空が見えたかと思えば、バラバラと雨が降り、蒸し暑い。雨がやめば、どこかでツクツクボウシが啼いている。とうとう9月になってしまった。母は入院したまま。

 

朝のうち、サクラソウを少し植え替えた。この夏の暑さで、せっかく育ったものがほとんど煮えてしまった。何のためにせっせと水遣りをしたのか。それでも他の鉢植えの陰に無事の苗があった。それらを大事に植え替えたのだ。今から種を蒔いても間に合いそうなので、明日当たり、無事保存されていた種を蒔こうと思う。

 

母の食事は、看護師さんたちがいろいろ考えてくださって、今はお粥もミキサーにかけとろみがついている。ミルクもジュースもみんなとろみ付き。そして量も少なくなった。それなら、いやがる母をなだめながら6割くらい口に入っていく。だいたい家にいたときも一度に食べる量は多くなかった。

そして家でつくったスープをゼラチンで固めて持っていったりする。昨日はカボチャのスープを三匙食べてくれたので、少しほっとしている。こうして、だんだん食べられるようになるといい。

 

きょうは病院へは夕食時に行く。朝は妹が行ってくれた。私は少し腰が痛くなって、やはり老老介護を実感。今夕は女性映画祭のレセプションがある。でも欠席だ。映画監督さんたちに会えないのは残念だけれど、この映画祭の第一回目からずっと参加していたのだ。それが出来た幸運に感謝しよう。

 

人生いろんな時期がある。今は介護の時期か。一人ずつ送って、残ったのは母が一人だけなので介護もこれが最後だ。私自身のときは面倒を看てくれる人はいないから、ある日突然ポックリ逝くことを願おう。