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2008/8/29 生き物救急車と消防車の音で目が覚めた。いや、横になっていたけれど寝ていなかった。ワインを3杯程度飲んだので、普通ならぐっすりのはずなのに。
寝る前に一ヶ月も前から電話しそびれていた豊橋市のOさんに電話した。Oさんも現在お母さんが入院中だとか。二人して「老老介護」だと言って笑った。
私の母は相変わらず呑み込むのが困難なままだ。スプーン一杯のお粥がずっと口の中に居座っている。次を無理に口に入れようとすると貝のように口を閉じてしまう。
同じ部屋に「胃ろう」をした老夫人がいる。注射器のようなもので、胃から出ているチュウブに栄養物や薬、水を入れている。家族の人がそのやり方を看護師さんから習っていて明日退院だそうだ。 あれを見ると哀しくなる。まるでしなびた赤ちゃんだ。かわいらしく笑うけれど何もわかっていないようだ。現代の医療は何という生き物を作り出すのだろう。あの人は、たぶん数年は生き延びる。けれど本人にとって幸せなのだろうか。
人は他人の痛みや悲しみは何年でも我慢できる。だからあのようなことが出来る。ふと、そんなことを思っていたら眠れなかった。
今夜は大雨警報が出ている。一人の家は怖い。 明日は妹が用事があるため、私は朝と夜病院だ。病院から出ると、いつも気持ちが沈んでしまう。けれど元気を出さなければ。そのためにも早く寝なくては。
2008/8/24 休みながらにしよう、と決めた母は、二日前からゼリー食が出るようになった。おも湯もスープもココアもみんなゼリーで固めて出てくる。デザートの果物のゼリーやヨーグルトは市販のものだけれど。 それも三分の一食べれればいいほう。やはり一時間ぐらいかけて、ごっくんと呑み込ませて、なだめてすかして、やっと。
病院から戻ると、どっと疲れる。体力などまったく要らないのになぜか。まず、病院という場所。看護師さんや同じ部屋の患者さんに気を使いながらの作業。その気疲れと、自分の時間が細切れで疲れを取るのに精一杯で、何もできないというストレス。そして一番の疲れの原因は、母がそれほどよくなっていかないことである。成果が見えないのは、やはりつらい。
ここに来て、頼みの妹も疲れが出てきていて(病院拒否が起きそうなのだそう)、二人で相談した。そして、母には申し訳ないけれど、少し手を抜こうと決めた。現在のところ完全看護の病院にいるのだ。看護師さんだけでは細かいところまでは無理だと思うから家族が行って補っていたけれど、一日に4度も行かなくても、どれか休もう、と。私たちが元気でいないと母が困る。妹いわく、「母の状態はおそらく長びきそう。退院した後のこともある。そう「いい子」にならなくていいよ」。私もそう思うので、看護師さんの人数の多い平日のお昼ごはんのときは、病院でお願いすることにした。理学療法士さんが来てくださるリハビリのときも毎日ついていなくてもいいんではないかと。週に2回か3回いればいい・・・と。
そうこうしていると、担当医は早く退院させたいみたいなので、母は排尿が自分で出来なくても(尿意がなくなってしまった)点滴さえ取れれば、急に退院の運びになるかもしれない。病院は単一的な病気は治しても、人は治さぬところのようだから。 入院前は、まあまあ普通に暮らせていた母を、こんな廃人みたいにして、どうしてくれる!(と、叫びたいよ。言えるものなら)
2008/8/19 一ヶ月過ぎて母は、くず湯ふうのものを時には完食できるまでになった。もっとも、カップ半分の量である。ゆっくり一時間ほどかけて一匙ずつゴクンと呑み込めたか確かめながら。薬を飲ませると、うっかりすると舌の間に隠れていて呑み込めていない、という状況なので、パクパク食べられるようになるかどうか危ういと思っている。
しかし、私は決めた、柔らかいお粥くらいのものが食べられるようになったら退院させてもらおう。沢山食べられなくてカロリーが足りていない状況でも仕方がない。おなかに穴を開け、管を通して栄養を入れることはしたくない。管や点滴に繋いでおくのは、そちらの方が虐待ではないかと思う。長くは生きられないかもしれないが、昔はそれが普通だったのである。家でも一匙ずつ、できるだけ食べさせればいい。排泄の世話なら、すでに夫や父で慣れている。母の方がずっと扱いやすい。
母は、だんだん赤ちゃんの顔つきになってきている。「今日は何日?」と聞くと「7月19日」「7月27日」という。「あなたは何歳?」「78歳」と言う具合(本当は87歳)。時には90と言ったりして。しわくちゃの赤ちゃんだと思えばいい。
ただし、そのような私の考えも、母の不整脈が飲み薬だけでコントロールできれば、の話ではある。
入院して一ヵ月。看護は疲れる。もう身体がガチガチ。夫や父の看護をしてきたときに比べて、仕事はらくなのに体力がない。こちらの年齢も高くなったからだ。母が家に戻って在宅介護となっても、公的援助やその他、介護制度を最大限に使ってやっていこう。目差すは明るい介護だ。
さて、もうしばらく頑張ろう。 2008/8/17 三歩進んで二歩下がる
母にやっと、くず湯のような、どろっとした栄養食が出るようになった。しかし、カップ半分ほどのものを3割とか、よくて5割しか食べてくれない。しかも一時間ぐらいかけて、嫌がる母をなだめてすかして、誤飲しないよう気をつけながらの食事。
「食べたくない」 「どうして?」 「おいしくない」「まずい」 「ノドの運動なんだから、食べて。はい、あーん」 「もうええ」 「おうちに帰りたいでしょう? これが食べれるようにならないと帰れないよ。さっ、あーーん」 「いやだ」 「そんなこといわずに。いい子だから」 ・・・・・・・ 「さあ、さ。遠慮しなくていいよ。食べよう」 ZZZZ・・・ 「あら、寝ちゃったの」
まるで駄々っ子をなだめているみたい。口を開けさせるほかに目もすぐ閉じてしまうので、目を開けさせるのも大変。あまりしつこいと泣き出す。
この食事、オリゴ糖入りだか何だか知らないが、ちょっと味見したがおいしくない。昔のように、おも湯やお粥から始めてはいけないのだろうか。母にはその方が合っているように思える。 先日、若き担当医はいきなり高栄養のどろっとしたものを出した。それが原因かどうかはわからないが下痢になり、(ある看護師さんによると)胃腸を慣らしてからの方がよいとのことで、今のくず湯ふうのものになった。研究されたものではあるけれど、昔の人には昔から食べられていたものの方がよい、と思うのは素人の考え? なんだったら家でつくって持って行ってもいいんだけど。そのほうがきっと母の口に合う。
しかし、まあ。ふぅ~、疲れるぅ~。 一日三回病院に行き、そのほかリハビリの理学療法士の方が来る時間(二時半)に合わせて病院に行く。妹と時間を割り振りしてやっているから、まだいいものの、疲れることに変わりはないし、自分の時間も細切れ。
昨日はお昼時間は妹に任せて、恒例の旧友たちの集まりに参加した。ぺちゃくちゃ、9人が集まっておしゃべりは楽しかった。みんなそれぞれお年寄りをかかえている。面倒を見る私たちも順に還暦を迎えている。まさに老老介護の時代を実感。
2008/8/14 お盆
何があっても暦は律儀に巡ってくる。今年も旧盆。一人だけの家にも巡ってきた。
棚経と言って和尚さんが家に来てお経をあげていった。信心深くない私も、仏様にお供えするミニチュアの膳(霊膳)もつくり、それらしい格好を整えた。
盆は、先祖の霊が家に帰ってくるという。でも、それならふだん家の仏壇には何がいるのだろう。いつも疑問に思う。「お墓には私はいません」などという歌まであるくらいで、お墓も何の意味があるのかと思う。
しかし、日本の風習である。こうやって季節を感じ、亡くなった人を思ってあげる日もあってよい。
噛み付くような暑い暑い夏が、こうして過ぎていく。 2008/8/10 男性の看護師さん母が入院している病棟に若い男性の看護師さんが3・4人、女性の看護師さんに混じって働いています。看護師さんの仕事は、責任あるし大変です。注射したり熱を測ったりだけが仕事じゃありません。患者さんの身体を拭いたり、シーツ交換したり、おしっこやウンチの片付けなど、並大抵の覚悟ではできない仕事です。それを男性もやるようになったとは、いい傾向だと思います。動けない患者さんの身体を持ち上げたりしなくてはなりませんから、体力を必要とするときには力のある男性にはもってこいですし。
でも、私がここ数週間見てきた男性の看護師さんは、まだ若いということもあるでしょうが仕事が雑です。ほんとうに看護する気などあるのか、と怒りさえ感じるときがあります。こちらは家族を預かってもらっている立場。そう強いことは言えませんが、なんとかならぬものかと思います。
見たところ、彼らは病棟でまだ新米で、女性の看護師さんに命令されています。そういうことは新米なら女性だってあることで、どうとも思いませんが、少し甘やかされているかなぁと感じます。おざなりな仕事を誰も注意しないのが不思議です。何と言って、些細なことなのですが。たとえば、まだ手も思うように動かなかった母に「顔を自分で拭いて!」とタオルを置いていったとか、口腔ケアなどちょっちょっと前面だけやって終わりとか。これで家族が見ていなかったらどういうことになるかと勘ぐってしまいます。
しかし、百歩引いて、考えています。彼らは現代の若者。どの子もその家族の中で「おぼっちゃま」で育ったような世代です。その子たちが、ある意味で過酷とも言える仕事をするだけでもえらいではないか。いま彼らの芽を摘んではいけない。うまく育てて、今後も男性の看護師さんを増やさなければ。
と思うのですが、今日のお昼の勤務交替時間のとき、用事があってナースステーションに行ったら、女性の若い看護師さんときゃっきゃっとおしゃべりをしているのが目に入りました。
あのう・・・、母がお茶を飲みたいと言ったのは一時間も前なんですが。私の母は、飲み物でさえもうまくノドを通らなくて、とろみをつけたものでないと気管支に入るとかで「看護師がつくって病室に持って行きます」と確かに聞いたのですけれど。
2008/8/7 たそがれる 昨日、今日とツクツクボウシが鳴くのを聞いた。早すぎるではないか。まだ立秋なのに。暦は秋の入口でも、実際はまだまだ真夏。気が早い。
母のいる病院を3時半ごろ出て、スーパーに寄り、さて夕方。家で、ツクツクボウシの鳴くのを聞いていた。
たそがれている。
昨夜、DVDで映画「めがね」を見ていた。美しい海辺のちょっと変わった宿。その周辺にいるちょっと変わった人たち。そこにいる理由なんて、どうでもいい。ここに来る前は何をしていたのか、何者なのか、それもどうでもいいと思える。ただ、過ぎていく時間のなかにいるのが大切。それを「たそがれ上手」とか言っていた。
たそがれる・・・。あの映画と意味は違うが、今まさに私はたそがれている。
どうでもいい。一人の家はとても静かで、怖いくらい。でも、どうでもいい。私は何をしてきたのか、誰を愛し、どう生きてきたのか、そんなこと。すでにたそがれ時なのだ。今は、ただ時が過ぎていくのを見ている。
ツクツクボウシの鳴き声はなまぬるい夜風の中に消えた。
2008/8/4 怒り 昨日は従兄弟夫妻が遠くから母の見舞いに来てくれた。それで母は、こころなしかハッキリものが言えたように思えた。笑った母を見たのも久しぶりだった。それなのに、きょうは・・・
どうもいけない。やはり寝てばかりいる。目を開けさせてもすぐ閉じる。手足のリハビリとして、動かしてみると痛がる。整体師の方がやると素直にやっているのに。
呑み込みのほうは全くだめ。今週から食事の訓練が始まると思ったのに、それもない。嚥下の訓練も看護師さんたちは忙しく、一回やれば終わり。壁に口の運動や刺激方法をかいたものを貼り付けていったが、あれは母には絶対見えないから、家族にやれということか。
母はやはり少しボケてきたようだ。(認知症と言う言葉は少し違うように思う)
少し口をあけて放心したように寝ている母を見て、点滴を全部外して家につれて帰りたいと思う。劇薬の点滴、あれをやめれば元通りの食いしん坊の母に戻るのではないか。そうは思うけれど、やめたらまた発作が起きるかもしれない。
あまり熱心ではない医師。若すぎるから余計にそう思うのかもしれないが、とにかくマニュアルどおりのことしかしないように感じる。マニュアルどおりならまだいい。手抜きを感じる。平日なのに、一日に一度も見に来ないときが多いし、やるといった血液検査もまだしていない。別の手のかかる患者がいて、今はそちらにかかりきりのようだ。個室もその新患のために大部屋に追い出された(ような気がする)。
今の部屋は暑い。今どき、家庭用のエアコンみたいなものが一個ついた大部屋ってあるだろうか。古い病院だから仕方がないけれど。 入院する前は、曲りなりに自分で歩いていたし、ふつうにご飯が食べられた母。病気を治そうと思って入院したのに、なぜこんなひどいことになったのか。私としては、母には、病気と闘わなくていい、とにかくらくに過ごしてもらいたいと思っていたのに。
2008/8/2 決断したくない昨日の夜、母の病室に担当の医師が来て、母は食べられない、今使っている点滴の薬は劇薬で、長くは使えない。だから、「胃ろうはどうですか」と言う。どうですか、って。まだ口腔ケアも充分にしているとは思えないのに、なぜそう短絡的に言うのか、少しむっとした。
医師は「胃ろうがだめなら、鼻から管を通して栄養を入れるのはどうか」と言った。「あれは入れ間違えて気管支に入る恐れがあるでしょう」と言ったら「ちゃんとレントゲンを見ながら入れます」と。ちがうのだ、その場限りではない、あれは時々取り替えなくてはいけない。そのとき苦しいということが言いたかった、だが、医師はなんとしても今の点滴の薬を飲み薬に替えたい様子。
家に帰って、その劇薬とやらをネットで調べてみたら、二種類とも長期使用はいけないとある。生命に危険のあるときのみ継続、しかもだんだん少量にしていくように、と。そしてこの二種類の薬は併用してはいけない・・・。な、なんなの?
使い続けると、肝不全ほかたいへんな病気を引き起こすらしい。だから医師は何度も「胃ろう」と言った。けれど私は「口から食べられなくなったら生きている甲斐がないですから」と。
「点滴でも長期に渡って同じところから出来ないし、胃ろうと同じですよ。あちこち差し替えてやっていかなくてはいけない、点滴が取れなければ退院できないですよ」と医師。ああ、この人、早く退院させたいのだと思った。
けれど・・・、たしかに薬は劇薬。このまま使い続けるのは危険。どうしたらいいのか。顔色もいい、ふっくらした母を、胃ろうはいやだと拒否し続けて、死を早めるのか? それって、私は人殺しではないか? でも、命は助かっても、人として助からないようなことは本人にとって幸せではないではないか。
考えていたら昨夜は眠れなかった。問題は、母が食べてくれればいいのだけれど、今は小さな氷でさえ押し戻す。舌がまったく伸びない。なぜ嚥下の専門医は来られないのだろう・・・
2008/8/1 ランチはオムレツ
というわけで、日中は家にいて昼ごはんにオムレツをつくった。冷蔵庫の中の卵が古くなっていたからだ。生クリームも期限切れ寸前。サラダをつくり、クロワッサンを一個解凍して、数日前につくったヒジキの煮物に、コノシロの三杯酢。ゆっくり食べて、コーヒーも淹れた。
独りの午後を悦しみながら、遅かれ早かれ「おひとりさま」になることを想った。そして以前に見た『いつか読書する日』(2004年・緒形明監督・田中裕子、岸部一徳主演)という映画を思い出していた。あの映画はなかなかよかった。あまり有名にはならなかったようだが、私は好きな映画だ。映画の中の独り暮らしの女性(田中裕子)の自宅にぎっしり並んだ本! 私だったら、本のほかにDVDがずらっ・・・。いつか映画を見る日、になるのだろうか。
庭に夏の花が咲いて、老犬が暑さでぐったり横たわっている。2008年の私の夏、これからどう展開していくことやら。
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