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2008/7/25 こんなはずでは
なかった、ということはよくあります。
今回、私の母のことです。 前回はのん気なことを書き込んでいました。 初めからの経過を述べますと、 母は、以前から不整脈の持病があったのですが、本人は自覚症状がなく高齢でもあり、カテーテルを入れるような苦しい検査や手術はしない方針で、主治医と相談して「見守る」ことにしていました。
それが、数ヶ月前から徐々に頻脈の度合いがひどくなってきて、先週、常時140前後になったのです。主治医は心電図を見て、「心臓がもたない。紹介状を書くから、このまま市民病院に行ったほうがいい」。
で、即入院。そのとき母は曲がりなりにも歩いていました。相変わらず自覚症状はなく、どうやって訊いても「えらくないよ」と言いました。一週間ぐらいの入院予定でした。最初は順調に点滴だけで回復したからです。
それが、入院して三日目。 一時、私は最悪のことを覚悟しなければならなくなりました。発作が起きて、AED(電気ショック)というの、あれを5回もしたのです。その後、母は意識が戻らなくなってしまいました。
幸い、母は二日ほどで意識が出てきて徐々に回復しています。まだ話せないし、手足はクラゲのように力はありませんが、意思疎通はできます。やれやれです。
けれど、なんでこんなことになったのか、病院なんぞに連れて行かなければよかったのか、と思ってしまいます。
病院では人工呼吸器の話も出て、拒否しました。へんな管は入れたくない、無理に生かしてほしくないと思っています。それは母本人の意思でもあります。
最終的な選択を迫られるところまではいかなかったのですが、母は87歳。このままベッドの上で寝ていたら歩けなくなる可能性があります。24時間監視のため線をいっぱいくっつけられて、酸素吸入をし、点滴も数本頭上にぶら下がっている母。それを見て、これは母の意志ではないと複雑な思いです。
でも、こうなってしまったのです。
人は生きるのも死ぬのも大変なことだとつくづく思います。
2008/7/19 独りの夜は
母が脈拍の速くなる病気で入院したため、現在家は私だけ。 朝食の時間から夜の消灯まで母に付き添って病院にいるため、家では夕飯を食べて寝るだけ。でも独りだけの夜って、気軽なようで、ちょいと緊張する。それで、ビールを飲んで寝ている。太るかなぁ。
少し前に、女性3人で鳥羽までミニ旅行した。そのときのメンバーの一人は、酒豪。お昼からビールを飲んで、夜はホテル近くのお魚のおいしい居酒屋でお酒を飲んで、翌日も遊覧船の中で飲んで・・・、その飲酒に付き合った勢いが今も続いているような。
鳥羽に出かける前に、におい敏感症の友人がまた泊まりに来て、缶ビールを置いていった。今回は期限切れまで余裕があるビール。それを空けている。
母はたぶん、来週の水曜日には退院できる。点滴の薬のお陰で今は全く正常な脈拍数になった。何の薬をしているのだろ。実は薬が効かなかったら、電気ショックで一度心臓のリセットをする予定だった。そう苦しくなさそうなので、そこまではお願いしてみるつもりだったけれどやらなくてよさそう。87歳、もう苦しい検査も手術もさせたくないし、本人も望んでいない。静かに過ごせればそれでいい。
母がいなくなったら、私はほんとうの独りになる。今はその予行演習かな? ちゃんと緑黄色野菜やたんぱく質、そのほかいろいろ作る。でも、これがずっとということになったら出来るだろうか。 あ、作りすぎ、食べすぎ(―_―)!!
2008/7/7 勿不敬
そういう私もあまり気がなかったのだったが。主催側の世話係りの人が友だちなので、それで行ったようなもの。終わってからの懇親会も、肝心な友は忙しくてゆっくり話す時間もなく、隣の席のやはり仲良しの人にビールを矢継ぎ早に注がれて酔ってしまった。
今年賞を受けた詩集の題名が「母不敬」だったかな? 不届きながらチラッと見ただけなので確かではないけれど。ほんとうは「勿不敬」と書いてあるのに、毛筆の崩し文字ゆえに「勿」という文字を「母」と読んでしまって、ずっと「母を敬わず」だと思っていたという内容らしい。
かの向田邦子さんだって、彼女のエッセイによると、野薔薇という歌の歌詞の「野中の薔薇」を「夜中の薔薇」だと思い込んでいたという。そんな思い違い、思い込みは誰にでもある。そのようなどこにでもありそうなことを一冊の詩集にするとは、やはり詩人はこだわる人たちなのである。
私も詩を書かなくては・・・。でもこだわることが多過ぎて、みんな手の指から砂のようにこぼれていってしまう。これも困ったものだ。何か一つのことにこだわっていた方がいいのかもしれない。しかし、詩を書くために生きるのはいやだ。生きているから書く、というのがいいと思っている。山頭火みたいな生き方は好みではないし、できるわけがない。
2008/7/3 「地の涯」に行く 二泊三日で知床に行ってきた。往復に時間がかかり、しっかり観光したのは中の一日だけ。でも一緒にいったのが女性4人の気の置けない仲間なのでとっても楽しかった。観光も、北海道らしい風景を堪能できたし。
(畑がはるか向こうまで続く。さすが広い)
一泊目のホテルは、石見別の「地の涯」というところだった。自然遺産のなかに、ぽつんと一軒埋もれていた。自家発電、冬季は閉鎖という。携帯はどこの会社のも通じない。蝦夷鹿がそこここにいるし、熊に出会うかもしれないと聞かされた。携帯が通じないと聞いて、フランス映画「サンジャックへの道」を思い出した。映画の中に携帯依存を皮肉ったシーンがあった。
映画のような道
二日目は、まずウトロの港のところにあるオロンコ岩というのに登った。というより、ツアーだったので時間調整で登らさせられた。一汗かいたあとで、船に乗って知床の先まで遊覧。これが、コートを貸してくれて、その上から救命具もつけて、ふくらんだ格好だったが、すぐにそれでもヒザが冷たくなってきた。さすが北の国。ここは真冬は流氷がやってくるところ。
船から下りて、昼食。それから知床5湖のうち一湖と二湖をハイキング。ネイチャーガイド付き。
三日目は、オシンコシンの滝と硫黄山に寄って、釧路空港に。それで旅はおしまい。北海道は夜明けが早い。朝の3時ごろからすでに明るいので、のんびり朝風呂をしていた。次回は釧路湿原に行ってみたいなぁ、なんて思って。観光客にとって地の涯は楽園だった。
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