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日志


2008/6/29

振り替え受講

 来週月曜から三日の予定で旅行するため、今週は中国語の授業を振り替えてもらって、水曜の夜と土曜日の今日も孔子学院に行っていた。同じレベルのクラスなら二度まで振り替えが可能ということなので。

 

 いろんな老師がいて、それぞれ特徴があって面白い。どちらにしても中国人の先生は、おおむね元気がいい。社会人の受講生というのは、語学の中でも中国語は年配の方にも人気があって、老師より偉そうな人がかなりいる。元気でなくては務まらないかも。

 

 しかし、偉そうな受講生さんは、的外れなものか、自分の知っていることを誇示しているだけのような質問をすることもたびたびある。そのようなものにも親切に対応する老師は、やはりプロだと感心する。

 

 先日は、「会」と「能」の使い分けを、「なぜそうなるのかわからん」と質問して、老師が説明したら「ますますわからなくなった」と言っている人がいた。ご自分が理解できないことへの「ぼやき」を授業時間中に言っているだけの感がなきにしもあらず、というところ。

  この学院では、いろんな老師に出会い、いろんな受講生に出会う。受講生は、若い大学生から80歳代の人までいて、この世代の差も見ていると面白い。私の母くらい年配の受講生を見かけると、もうそれだけで敬服してしまう。こういところだけ見ていれば、日本は、いまは、平和でいい国なのである。

 

 

2008/6/22

期限切れ寸前でも

 

中国語の検定試験を受けた。インターネットで解答を速報するところがあるので、見てみたら、結果は相変わらず糟糕(ひどい)だった。

 

 道は遠い。婆婆妈妈が(形容人行动暖慢语言啰唆)を、私は(形容人说话办事犹犹豫豫)にマークしてしまった。似てるよねーーー、まったく(_)!! しかし、婆婆とママがなぜ、くどくどしいという意味になるのか、女性としては憤慨。

 

 このような間違いばかりで、文章をちゃんと理解して読んでいないことを痛感。付け焼刃ではだめなのだ。勉強の方法を改めないといけないかも。

 

 

 試験が済んで、今夜は缶ビールを空けた。家でビールを飲むのは久しぶり。一ヶ月以上飲んでいないと思う。

 飲みながら天津に4ヶ月の短期留学に行っていたとき、単元テストが済むと、必ず青島ビールを飲んでいたことを思い出した。金曜に冷蔵庫に缶ビールを一本入れておいて、土曜日に試験が終わると、明るいうちに部屋で空けた。向かいの部屋のまだ高校生っぽい女の子が「A子さん!いいんですかぁ」と目を丸くしていた。あれも今は楽しい思い出。よかったな、あんな時が過ごせて。

 

 

  さて、次は秋のHSK試験を目差そう。私の能力は低いけれど、決して諦めない。焦らずコツコツと、目標を定めてやってみるのみ。

 

 

 ところで、いま飲んでいるビールは賞味期限の寸前。でも味は変わらない。どんなものも少しずつの変化であって、明日と今日の境い目を超えたら味がパッと変わる食べ物があったら教えてもらいたい。生き物は、死によって生き物でなくなるという変わり方をするけれど、それはいつなのかはっきりわからないのである。

 

 だから、私の人生の期限が来るまで、元気よくやっていきましょう。

 

2008/6/10

鯛が履く靴は

 さて買い物に行きましょう・・・と部屋から出てくると「どこに行くの?」と母。付いて来たそうな様子。「一緒に来る?」と言った途端、ポシェットを肩にかけて出てきた。

 

 母に留守番をしていてもらった方が、私は家の戸締りをしなくて済む。それに一人で買い物をしたほうが早く済む。けれど、スーパーのカートは老人が押して歩くのにちょうどいい。母の運動になるので、たまに連れて行く。

 

 しかし、ここのところしょっちゅう付いてくる。付いてくると、私はあっちこっち行くわけにいかない。郵便局や銀行に寄って薬の雑貨店に寄って、それからついでに服なんかいいのがあったら買おうかな・・・なんてことは出来ない。スーパーの中をゆっくり、母の足の速度で周り、それだけで戻ってくる。しかも、この母はお菓子をいっぱい買い込む。かごが「おかき・あられ」の類でいっぱい。荷物を提げて、母の手を取りながら駐車場に戻るのはちょっと難儀。

 

 それほど大変と言うこともないからいいのだけれど。でも私は、ここのところ母から逃げたい気持ち。毎日「どこに行くの?」と聞いているし、食事の支度ために台所に行けば、ずっと椅子に座って見ている。家にいれば、母は必ずそばに寄ってくる。テレビを見るのもあまり熱中できないみたい。

 

 高齢だから、友だちもだんだん亡くなってきている。一人で外出は無理。やることがないと、買ってきたお菓子を食べるので夕食はあまり食べない。けれど作らないわけに行かない。母は時間になると待っているのだ。

 

 妹が笑いながら言う。「鯛が靴履いてる」。 

 

 

タイクツって? 

 

鯛から靴を脱がせる方法はないかなぁ・・・

 

 

 

2008/6/8

過敏症の対策は?

 病気だというと、彼女は気を悪くするかもしれない。本当ににおうのだと。におうからむせ返ったり、ノドから鼻にツーンと来て頭痛になるのだと。

 

 たしかに、彼女の住んでいる地域は空気が悪い。大手製鉄所、火力発電所、石油タンクなどがずらりと並ぶ工場地帯のすぐ脇なのだ。さらにはゴミ焼却所が家の裏側にある。彼女の家のテーブルは、拭くたびに布巾が黒くなるのだそう。

 

 それは、それとして、この彼女は、外の空気が悪いという前は、家の中の新建材の臭い(ホルムアルデヒド)で頭痛になると言っていた。その建材をすべて剥がした後は、外の空気がにおうと言い出した。以前からにおいに敏感だったけれど、今や洗剤のにおいも、電車の中の人いきれもダメ。花の香りも木の香りでさえもダメ、すべて、鳥肌が立つと言う。ひどいときは口がしびれるとか。彼女は自分がにおいに敏感な身体になってしまったのだと言う。

 

 たぶんそうなのだろう。以前は気にならなかったことが、今は気になってしようがない。身体がにおいに反応するのだ。しかし・・・

 

 私は、心の問題が7割くらいあると見ている。数年前に夫を病気で亡くし、父親が一昨年なくなり、母親は現在グループホームにいる。子供たちも独立して、今彼女は一人っきりで広い家にいるのだ。仕事もしていない。「何かやることを見つけて、やったほうがいい」と言うのだけれど、「そう思うけれど、何をやっていいかわからない」などと。旅行も行きたくないそうだ。

 

 結局、彼女は引っ越そうとしている。それもいいだろう。場所が変われば気分も変わる。

 

 それで、昨夜は私の家で泊まっていった。私の家の地域で暮らせそうかどうか確かめに。自分の家と違って、よく眠れたのだそう。朝は一緒に海岸を散歩した。気持ちがいいとさかんに言った。でも、やっぱり排水路の横を通ったら「生活排水のにおいがする」と。洗濯排水のにおいがダメなのだそう。私は感じない。私が鈍感なのか?

 

 人間はにおいがするものだ。生活すればにおいが伴うのは当たり前。私たちが子供のころ、日本は公害列島で都会は空気が悪かった。彼女は自分が生まれ育った家にそのままいるから、あそこは当時はもっとひどかった。その場所で子育てもしてきたのだ。それが今になってなぜ? 彼女の家の近所の人たちは、あそこまで反応していない様子。 

 

 彼女は、朝食後ゆっくりおしゃべりをしてお昼近くになって感謝しながら戻っていった。

 

今のままでは、彼女は引っ越した先でも、きっと何か別の気にかかることを見つけそうだ。私は彼女は絶対に病気だと思う。自分で自分を変えるより治す方法のない病気。友人たちも、時々このように話し相手になってあげることくらいしかできない。彼女は今、他の人の出すにおいに寛容ではない。ということは周りの人や自分の生活を愛することができないのかもしれない。人にやさしくなることが自分にもやさしくなることだと思うのだけれど、私も人のことを言えた柄ではないから、あまり言えなかった。

けれど、こうやって友達を頼りにして、みんなに相談を持ちかけているのは、出口を見つけようとしている証拠。こんな家でよかったらいつでも来ればいい。 

 

あ、昨夜からおしゃべりしすぎて、累死了。

 
2008/6/5

介護施設デビュー

 

 雨がしとしと降っている。もう6月。梅雨の季節だ。

  

 母、87歳。今日初めて、老人保健施設に行った。デイケアを申し込んであるので、朝10時に家まで迎えに来てくれて、午後5時に家まで送り届けてくれた。

 

 私の母は、人付き合いが好きな方ではないので、幼稚園に送り出した親の心境で、少し気になっていたが、元気に戻ってきた。どうだった?と訊ねたら、施設で出会った人たちのことなど一通り話してくれた。そして軽い運動をして、お昼ごはんを食べ、お風呂に入れてもらって洗髪までしてもらって、おやつも食べたと言う。大体のことは知っていたが、ふむふむと聞いていた。

 母のお友だちのおじいさんがその施設に、やはりデイケアで行っている。母も同じ曜日にしたので、当然会ったという。私の母と父、そのおじいさん夫妻、双方が元気だったころ、4人で日本中を旅した仲間なのだ。旅の話でもして、たのしいひとときが過ごせるといいと思っている。
 

 家にいると、母はお菓子を食べてばかりいる。主におせんべいなのだけれど、それでも間食が多過ぎて、食事を食べなくて困っていた。それが、今日は夕ご飯を残さず食べた。いつもこれくらい食べてくれると私もつくり甲斐があるのだけれど。

 

 週一回、母も一人で外の世界と触れるのはいいことだ。どうせ長生きするのなら、最後まで元気でいてほしい。