こやけ 的个人资料ゆうやけこやけ照片日志列表更多 ![]() | 帮助 |
|
|
2008/4/30 レンズのズレ合わないメガネを持って、作り直しに行ってきた。途中、ガソリンスタンドの前を通ったら、車の列、列・・・。初め、何事かと思ったが、明日からガソリンが高くなるので今日のうちに入れておこうとする人たちだとわかった。
うむ、並んでいたらガソリンが無駄ではないのかな? 一台あたりどれほど入れられるというのだろう。そのぶん節約して車に乗らなければいいのに、と思うのは私がそれほど車を必要としない生活をしているからだろうか。車を必要とする業者は別として、一般の家庭くらいでは、列をつくって買うこと自体、ガソリンの余分な消費で地球環境にわるいことをしているのではないかと思う。
最近、私は近くの医院には歩いていく。以前は車で行っていたが、歩いてみるとこんな近いところを当たり前のようにして車に乗っていたことに驚く。それというのも中国で4ヶ月暮らしたとき、毎日よく歩いて慣れたせいもある。あのころ宿舎からてくてく歩いて、ちょっとしたものを買いに行った。大学の構内にあった宿舎。門を出るまでにもそこそこ距離があり、どこへ行くのもてくてく。街をよく歩いた。一時間以上歩いても意外と平気だった。むしろ歩くのを愉しんでいた。道路のデコボコ具合とか、道端の物売りとか、珍しくてきょろきょろ、面白くて。 歩くと周りの景色がよく見える。こんな花が咲いているとか、マンホールの模様とか、車では気がつかないことも歩けばしっかり見える。歩くことは楽しいのだ。
生ゴミを捨てに行くのも車でいく人がいるという。車に頼りすぎる生活は健康にもわるい、環境にもわるい。そして家計にもわるい。病気やお年寄りなど歩けない人を除いて、歩ける距離なら歩けばいい。ガソリンの価格によって、一般の人が困窮生活になっては困るけれど、そうでなければ少しくらいの我慢をしても、子供たちに住みやすい環境を残したい・・・
そんなことを思いながら、隣の市まで車で往復した私。6年間で3万キロ乗っていない車だから、私にしては遠出のうちに入る。
メガネは、遠近両用なので、近くを見るときのレンズの度が強すぎたのと、遠方を見るときのレンズの中心が上に少しずれていたせいだと分かった。無料で作り直してくれるそうだ。やれやれ。遠近両用メガネという便利なものも、一つの用途だけのメガネに比べて調整が難しそうだ。今流行の上下の幅の狭いものはなおさら。あれもこれもというのは難しいのかも。
暫定税率うんぬんの是非はともかくとして、あれもこれもは難しい。焦点がどこにあるかで見えるものがちがってくるし。
帰り道も、やはりガソリンスタンドは車の列だった。
姪の一家がやってきた来了我丈夫姐姐的女儿一家 (夫の姪は外甥女というのかな? 中国語は称呼がややこしくて覚えられない)
きのうは、さあスポーツクラブ行こう!と思っていたところに、姪から電話。わが家に一家で来るという。この姪は、夫の姉の娘。姪の夫はアメリカ人で、ちょうど隣の市まで英語を教えに行くから、彼を車で送りがてら午前中に寄るという。
あらま。でもそれもいいか。
やって来た一家にお茶やお菓子を出して、おしゃべりをしていたら、お昼。ピザはどう?と姪たちに聞いたら、一家のお父さんのマシュウさんが目を輝かせたので、ピザを取ってサラダを作って皆で食べた。
小学校へ入ったばかりの男の子に。学校で名前はどう書くのか聞いてみたら、今はまだひらがなしか習ってないから、ひらがなで名前を書くのだそう。「でぃおがーでぃ・でゅらん・もとき」と書くのかしら?書きにくそう。先生はどっちの名前で呼ぶのかと聞いたら「デュランさん」なのだそう。日本名の「もとき」は呼ばれることは少なそう。それに、今は男の子も女の子も「さん」付けでよぶのだという。
時間がすぐ来て、小さい嵐がさっと通り過ぎるように行ってしまった一家。
その後、私は一割引セールのスーパーに買い物に行き、あれこれ買い込んで戻ってきたら、すでに夕方。夕食は、母とカツオのたたき。自分で焼いたものは、やっぱりおいしい(*^。^*) 2008/4/27 用件を早くある人から電話がかかって、いきなり、 「あなたのあれ、読みました。いいですねぇーー」 「え、また読まれたのですか?」 「やはりいいですよ。以前に同じテーマで書いて賞をもらった人がいましたがねぇ、それより断然いい」 この人、3回か4回、同じことを私に言っているのだけれど・・・ 「ありがとうございます」を繰り返すよりしようがない私。 いろいろ話した後で、「Kさんの携帯の番号知りませんか」。
それを早く言ってください。しかし、しょうがない人だな。内心思いながらパソコンを開く。私の携帯には、新しくしたときにアドレスを移すことができなかったから、今は数人の番号しか入っていないからだ。パソコンのメールから拾い出して、番号を告げると「あなたとは、そのうちご一緒しましょう」。
電話を切った後で、なんか、もう、人間不信。みんなウソつきに思える。今は、よほど心休まる相手でないと会いたくないし話したくない。 そんな時に、高校時代からの友人から「遅くなったけれど、あなたの卒業祝いの食事会をしよう」と連絡が入った。こういうのは嬉しい。裏表なく話せる仲間っていい。
さて、遅くなったけれど、これから明日の中国語講座の予習をしよう。知り合いになった中国人の人たちも、皆やさしい。彼らと苦労なく中国語が話せるようになりたい。
2008/4/25 竹笋又来了!(晴 刮风比较大 稍微冷)
今天早上五点半起床。拿出去垃圾。以后跟我小狗走去在近处的田地小道散步了。 回到家时,邻居拿着竹笋来了。哎呀,又来了!几天前我妹妹刚刚给几条竹笋。不过,我向邻居笑着说了“谢谢”。 如斯 我家冰箱里有很多竹笋了。怎么吃好呢。
然后,我急急忙忙地吃早饭,做家务了。到十点再开车去健身房,试着上了一下伸长或伸出课(ストレッチ)。身体好舒服呀!下决心这次绝不半途而废! 2008/4/24 整个儿一天都下着雨今天整个儿一天都下着雨。 上午10点两个打扫的公司的人来了。因为我以前把打扫换气扇委托了她们公司。她们把换气扇的打扫花费了两个小时,完全干净了。我很高兴。但我付了一万六日元,不能说便宜。我不喜欢换气扇的打扫。怎么懒汉?不过,因为只是3年请一次,决定好的事吧。 我把打扫的人送到外边的时,看见了水晶花(卯の花)在院子里开着。已经是那样的季节。夏天就要到了。为了不输时光流逝打起精神来吧。
ああ、誰か間違いを直して! いつまでも上達しないので中国語トラウマ状態。 グスン。
(と書いたら、直してくれた友達がいました(*^。^*) 那位是我的朋友,而且我的汉语老师。 ↓
2008/4/23 スポーツクラブやっとスポーツクラブデビューを果たした。
参加したのは水の中のエアロビックス。アクアビックスという。音楽に合わせて、プールの外のインストラクターの動きを真似て手足をバタバタ。地上のそれとちがって意外と簡単な動きだが、45分休みなし。20分ほどしたら顔に汗をかいていた。
参加者は、ほとんど中年以上の女性。私が生活習慣病の改善を目的としているように、たぶん大方の人はそんなものだろう。プールの横にジャグジー、サウナなどがあり、着替えを終えて出てきたところにアロマなんとかという音楽を聴きながら身体をほぐす部屋がある。 プールの中は化粧禁止なので、終わってからシャワーを浴びてシャンプーして化粧をして出てきた。ちょっと贅沢かと思うが、こんな時間の過ごし方もいいかもしれない。何といっても身体を動かしているうちは何も考えないから。
しかし45分は長かった。手の指がシワシワのおばあちゃんになった。次は上の階にあるジムに行ってトレーニングマシンを使って何かやってみよう。それとも「健康体操」「ストレッチ」「ヨガ」などに参加しようか。フラダンスまであるのだから、初めのうちは自分に合ったものを見つけるまでいろいろ参加してやってみればいいかな。
2008/4/22 合わないメガネ4月もすでに22日。時間が竜巻のようにごーっと音を立てて過ぎていく。 この4月、何もしなかった。やろうという気持ちだけはある。しかし入会して会費を支払ったスポーツクラブも、まだ一度も行っていない。今日あたり、行こうと思えば行けたのに、歯医者だ、電話料金の支払いだとやっているうちに行く気がなくなった。
高山へ旅行した。たのしかった。中国語講座は二つ参加している。地域のお祭りでは、家族で食事をしたり、それなりに充実はしている。だが、何かしたという感覚がない。
メガネを新しく作ったら合わない。かけて歩けば、まるで巨人で、二階からものを見ているようだ。遠くをみてもごく狭い正面を見なければ焦点が合わない。そんなメガネのように、今の気持ちがある。
旅行したとき、帰りの列車で、随分以前の私のしでかした汚点を聞かされた。本人の私は記憶がない。漏らしてはいけないことを漏洩した。だから次の係りの人からは、その場にいなくていいようにした、という。すでに10年近い歳月が流れている。
黒い自分の幽霊がほおを撫でて通り過ぎていった。
記憶の底をひっくり返して思い出してみたら、問われるままに、衝撃の感想を話した気がする。それが誰だったかも覚えていない。人の言葉を正面からしか捉えない私。軽率だった。そして人の言葉を額面どおり受け取ってしまう自分が悲しい。なんとも、おバカだ。いつもそう。ほめ言葉を、後になって社交辞令だと知ったり、おなかの中は逆だったことを知る。私は駆け引きは嫌い、できない。
2008/4/20 地域のお祭り酒盛り旅
女三人で高山に一泊で行ってきた。おばさんばかりだが、文学係のつながりなので、いつもとちょっと毛色のちがう仲間。実際、人参色の頭髪の人が一人(笑 祭りが終わった翌日だったので、高山の街は空いていた。ソメイヨシノが七分咲き。芽吹いたばかりの柳の緑がうつくしい。そして白人の人や中国系の人など観光客が多かった。
JRで昼過ぎに着き、旧い町並みを見学して、休憩場所は酒屋。マス酒・・・、そして遅い昼食は、飛騨牛とお漬物で地ビール。夜は温泉に浸かったあと、熱燗。
おしゃべりしながら、この中の一人が、やがて文学で全国に名を知られるようになるだろうという話になった。私は副団長として応援することにした。団長は人参色頭髪の人。 翌日は、朝市、飛騨の里を回り、雨の高山をゆっくり散策。その日も遅い昼食で、蕎麦屋で山菜の天ぷらなど食べながら、列車の時間まで熱燗でおしゃべり。
お酒のおいしい旅だった。
2008/4/15 春の花花の季節。
きのうつぼみだったのに、きょうは咲いている。
きのう咲いていた花が、きょうは花びらを散らしていたり・・・
花の命は短く、短い時を無心に咲く。
それゆえいとおしい。
すべては変化し続けている。
人も例外ではない。
心も変化する。
きょうのあなたががきのうのあなたではないように
きのうの私はきょうの私ではない。
きのうの愛はそのままではない。
永遠にかわらないものがあるはずがない。
花が終わり、やがて新緑で埋め尽くされる5月がくるように、
変化は自然なこと。
それにしても・・・・・・我老了。(~o~)
わすれなぐさ(種がこぼれて毎年勝手に生えている)
糸水仙(父が植えたもの)
どうだんつつじ(どうだんのきれいだという御在所岳に行ってみたい。教えてくれた人はもういない)
どうだんつつじ・アップ
チューリップの球根を一袋セールで買った。
前年の球根と混ぜてあるけれど区別がつかない。
道端のこんな花も好き!(*^。^*)
タンポポの綿毛になってあの人のところに、ふわふわ飛んでいきたい。
ホトケノザ。小さく青いものはオオイヌフグリ。 2008/4/14 中国語の学院
月曜日は○○学院に行く日。中国語講座。私は中級1とⅡを午前午後受けている。と言っても先週始まったばかりで、今日で二回目。老師が同じなのか教科書のせいか、1とⅡのレベル差はあまりない。受講生は主婦か退職後の男性が大部分を占めている。教科書の内容は拍子抜けするほど簡単なものだった。
本当は夜の時間帯のものを選んだほうがよかったかもしれない。仕事で中国語が必要だから来ている人、将来役立てようとしている人などが多いので、刺激度がちがう。しかし、お昼の講座も熱心な人ばかり。カルチャーセンターよりはずっとましな感じ。私など、完全に負けている。
それに、この二つのクラスを選んだ理由は老師が知り合いなのだ。私はこの老師が好き。彼女は授業の間、たえず中国語を話している。中国語のシャワーである。しかも言い方がやさしいので心地よい。心地よすぎて、午後私は少し眠くなってしまったけれど。
今朝は4時前に起きた。宿題と予習復習がやってなかったから。昨夜はワインを飲んだので眠くなって寝てしまったのだ。先週からの一週間、私はいったい何をしていたのか。すでに脳が退化しつつある上に、このようなことでは上達するわけがない。
でも私は諦めない。目標に達するまで続けようと思う。
もっとも、目標に達するころはあの世にいるのかもしれない。それでもかまわない。あの世で中国語を話していればいいのだから。たぶん、天国や地獄には国境はない。中国語を話す人口は世界で一番多いから、あの世に行っても多いはず。中国語も必要でしょう。哈哈哈哈哈・・・・(*^。^*)
2008/4/13 にちようび
姪の家に行った。ちょっと遅い小学校の入学祝いを持って。車で30分弱くらいのところにいる。
彼女は夫の姪。夫の7回忌も去年済ませたし、ほんとうはもうそう親しく付き合わなくてもいいとは思うけれど、「A子おばさん」と慕ってくれると嬉しい。だから、続いている。
姪の家には、姪が一人だけいた。日曜日で、姪の夫のMatthさんの英語教室はお休み。それで、子供二人とMatthさんに一日外に出てもらって、彼女は衣類の整理や掃除をしているとか。お昼ごはんもおやつも、どこかで食べてもらっているのだそう。
まだ小学校に入ったばかりの長男と一歳数ヶ月の次男、よく一緒に連れて行ってくれるものだと感心。彼がアメリカ人だからか、今どきの夫婦か。
姪の家からの帰り道、友だちの家に立ち寄ったら、フキをくれた。この友人の家は農家で、フキを栽培している。私が行ったときは出荷の準備の最中だった。いま心配な別の友人のことを尋ねて帰る。別の友人は、うつ病がひどくなっている様子。
家に戻って、わぁお、たくさんのフキ!! さっそくご近所と妹のところにおすそ分け。 友だちと恋人のちがいは?昨日、午後から夕方まで友人と一緒だった。食べ物持ってきて、少しアルコール飲んで、おしゃべりetc。たのしかった!
何でも話せる相手がいるのはいい。いまのような家族状況になって、切実なくらい友だちの大切さを思う。人は一人では生きられない。金銭的にはなんとかなっても、精神面で孤独ではいられないのだ。
いつでも一緒の夫婦・・・を、たまには羨ましいと思うけれど、それはそれで気詰まりなこともあるだろう。いまは一人になってしまったのだ。老母はいるが、一人プラス面倒を看る相手がいるだけのこと。気楽さを愉しめる面があるから、セットでいる世間一般を全面的にうらやんではいない。せいぜい、独り身を愉しみ、ときたま友人に会っておしゃべり。。。
いまある状況のなかで、いかに生活を愉しむか、それが私の残りの人生の課題かな?(*^。^*)
しかし、友だちと恋人の境界線はどこにあるのだろう。ただ単に身体を接することと、そうでないことのちがいではないと思う。
2008/4/11 開始です |
|
|