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日志


2009/2/28

街で見かけたヘンなもの

 こんなものがあったなんて最近まで知らなかった。

 

地元ではいつも車を運転しているため、景色などほとんど見ない。少し前、電車の窓から撮ったもの。

 

 誰があんなところにネコにゃんの頭を・・・

 

 

 

 

2009/2/27

早春のいたみ

 母は、23日に病院から老健施設に移った。母をそのようなところに入れるのに心痛めて、それでも出した結論。親族から強烈な皮肉を言われたりして、心がさらに痛くなった。母自身は、今のところ施設でおだやかに過ごしているようで、少し安心。

 

 この老健施設、自分で着替えのできない人は、夜も昼も同じ服装のまま。入浴は週に二回で、そのときにそっくり着替える。それ以外は着たきりすずめなのである(パンツは別)。世話をする人が足りないからと言って、これはちょっと問題だと思う。でも、それを承知で入れたのだし、文句は言えない。つらいところだ。

 

 そういうわけで私は独り暮らしになってしまった。気楽になったが、たまりにたまっていたこと・・・、眼科に皮膚科、そして整形外科と医者に通うのに忙しい。まだ歯医者も行かねばならない。

 

 以前から腰痛はあったが、絶妙なタイミングで、母が老健に移った翌日から起き上がるのにも痛みを感じるほどになってしまった。椅子に長く座っていると痛いし、かがめない。整形外科でレントゲンを撮った結果、腰骨が一つずれていて、その下の骨はジョイント部分が狭くなっているそうである。んんん、歩けなくなったらどしよう。ものすごい不安が襲ってきた。私の寝ているのは二階のベッド。降りられなくなったら・・・

 

 とりあえず今は痛みが治まるのを待って、コルセットの型を取って、その後は医師が経過を見ながら治療方法を考えてくれるそう。

 

 これは加齢現象。歳はとりたくないものだ。母のあとを私もじきに追いかけることに。
   

 早春の花が咲き始め、枯れた芝に覆われたわが家の庭も明るくなってきた。心も身体も、いたみはあっても、よいと思うことをやってみよう。嵐や雨、曇りの日もあれば、必ず晴れる日もある。そんなものだろうな、生きてるってことは。

 

2009/2/20

月かじり虫

 眼科に行った。満月を見ると、下の方が、おせんべいをかじったみたいに、ちょこっと欠けて見える・・・これ、随分以前からのこと。数日前の夜、信号を見ても丸いはずの信号の下側がちょこっと欠けて見えた。

 

 何か重大な目の病気ではないかと心配になった。それで出かけた眼科。

 

 結果・・・

 眼科医は、「乱視のせいと思われます。メガネをかければ0.7の視力はありますから」。にこにこと仙人のようなお顔で言われた。

 

 自分でもそんな気がしていた。メガネをかければ月も丸く見えるのだから。でも心配の種はつぶしておきたかった。

 

 

 月をしょっちゅう見上げている。今日のように出ていない日は、心の月を見る。それが、これも欠けて見えるのだ。胸ン中に月かじり虫でもいるのかな? 欠けた部分の闇を風が吹きぬける。

 

 

 

2009/2/10

月亮代表我的心

 
今夜はとっても月がきれい。
 
誰か見てるかな。
 
 
2009/2/9

壁が落ちる家

 壁が落ちたんですね。わが家のトイレと玄関。古い家ですから昔ながらの土壁なんです。(でも骨組みは鉄骨です。へんてこりんな家です)

 

いま修理してもらっています。それで大工さんが入っている間、どこへも行けなくて、時間が中途半端。そんなとき、ここに書き込むのにはいいかもしれません。

 

 トイレはふしだらけの杉の板を横にバンバンッと言う感じで打ち付けて、一日で終わりました。でも玄関は、隙間から雨も吹き込んでくるし、思い切ってドアを取り替えてもらい、壁はトイレと同じ材料では困ると言ったら、全くふしのない白木の板を縦に一枚一枚丁寧にはめ込んでいてくれます。もちろん、上部と天井はクロス張りになる予定ですが。

 

 もうじき一人暮らしになる我が家、そんなよい材料でなくてもよかったのに。掃除キライの私、玄関だけりっぱになってどうする。

 

 と、玄関の横にある縁側を見たら、なんと!! 大工さんがトントン、トントン打ち付ける振動で、土壁が落ちかかっています。

 

 廊下の壁も、あちらもこちらも。どうしよう(_)!! 

 

 でもーーー、もう修理はしません。もういいんです。壁が落ちたら、タペストリーで隠すとか紙を貼っておくとかします。そのうち引っ越そうと考えてますから。住めればいい、住めれば。

 

 

 

 

 

2009/2/5

胸が痛む

  まだ入院中の母、退院後はそのまま老健に行くことが決った。母本人には、ずっとそこで暮らすことになると伝えていない。リハビリしてよくなるまで、と。

 

 胸が痛む。なんでこんなことに。母を嫌いなわけではない。むしろ長女の私から見ても、元気なころは、可愛いおばあちゃんだったし、素直だった。母には安穏と暮らして欲しかった。

 

 それが昨年来、歩くことはもちろん、着替えも食事も一人でできなくなった母は、家の中で「あっちへ行く」「こっちへ行く」。私はそのたびあっちの部屋の暖房を入れ、こっちの部屋の暖房を入れ、トイレも電気ストーブを置き、「寂しいコール」の代わりに訴えるおしっこ、おしっこに、一日中ついていなければならなかった。何とか諭そうとしても「いやだ!」。そんな母は、石うすに粘着ノリをつけたように重かった。外出する時は妹に来てもらい、来てもらえば妹にお土産を買ってきて・・・。家の中は介護一色。限界かなぁ、と思っていた矢先、母はほんのちょっと目を離した隙に転倒して骨折。

 

 そのようなことは、すべて言い訳なのだろう。でも・・・私の生活は?

 

 それで決意したのだったが、やはり胸が痛む。施設暮らしなどいいはずがない。「少人数で看ていますから、おうちのように手は届きません」「やはり転倒などもあります」というように、施設側から念を押された。それでも預けるというのだから。

 

 つらい。

 

 

  母に合わない施設だったら、どこかいいところを探して変わろうと思っている。とりえずの応急処置、ということで自分を納得させてはいるけれど。