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日志


2008/11/29

私を呼ばないで

 呼ばれてもいないのに、呼ばれたような気がして真夜中に目が覚めた。母の声が耳についてしまったようだ。

 

 A~子、A~子、おーーい、おーーい。

 

 返事をしても、しても、顔を見るまで呼び続ける。

 

 昨日、母に言った。「そんなにトイレが好きなら、トイレに住んだら?」

 

母はちょっと笑っただけ。目覚めている時は、10分と空けずに呼ぶ。やめて、やめて!! そんなに行っても出るわけないから我慢して、と言っても聞かない。なぁ、なぁ、連れてって。なぁー。漏れちゃう。なー。

朝の5回目くらいまではニコニコしていられるが、その後はこちらも甲高い声が出る。ああ、やめたい。こんな声を出すつもりはない。

 

母は寂しいのである。寂しいから呼ぶ。わかっているけれど・・・

この人、トイレの水と一緒に流してしまいたい・・・思う。思ってしまう。

 

私は風邪を引いたようだ。のどが痛い。頭痛がする。身体がこわばる。だるい。火曜日にインフルエンザの予防注射をしてもらったのがいけなかったのか? 針を刺した周辺がまだ痛い。

 

起きたついでに、尿取りパットというのを取り替える。夜の日課となった。母はぐっすり寝入っている。

 

 

 

2008/11/24

哀しみというシミ

 シミは私の顔にいっぱいある。20歳のころのあのすべすべのお肌の私から、こんな賑やかな顔は想像できなかった。歳月はひどいことする・・・

 

 まあ、冗談はさておき、

 

 このごろ、訳のわからない理由で無関係の人を傷つけたり殺したりする事件が多い。そういう人たちはなぜか派遣社員が多い。不安定な立場からか、精神的にも不安定になりやすいということだろうか。

 

 正規社員になれず、社会に対してひがみを抱いている向きも多いようだ。人の幸せをねたむ人は昔からいたが、一見ふつうに見える人が今ほど簡単に事件を起こすことはかつてなかったように思う。みんなと同じような暮らしができないことの焦りなのだろうか。「みんな持っているから」という、子供が親にモノをねだるときの殺し文句を、今は世の中にぶつける大人が出てきたようだ。

 

 しかし、自分に照らして考えてみた。

 

 実は、やっぱり私も世間一般の幸せが羨ましいのである。見る方向が違えば、人が見たら私も幸せなのだけれど。

 昨日のこと。母の介護を妹に任せて電車に乗った。乗り換えの駅で、偶然、同級生に出会った。奥様とご一緒。聞けば紅葉を見に行くのだとか。もう孫の手が放れたからあちこち夫妻で出かけているそうだ。

 

 「あら、いいですねーー」とニコニコ。けれど心の奥でグラリとするものがある。決して、決してねたましいのではない。自分にはもう手の届かない平穏さを見てしまったことに対して哀しみが湧いてきた。しかも、乗り換えた電車の中で、その奥様は電車が揺れるせいなのか、だんな様の服をしっかりつかんでいる。ああ、仲良し!!! 独り身にはクラクラするような光景。でも「今からがいいときですね。楽しんでください」と。

 

  それはいつものこと。あとは自分の用事に専念・・・中国語を吹き込んだICレコーダーに聞き入る。

 

  今日になって私より少し後で未亡人になった友人のことを思い出した。彼女は、「カラスが二羽いても腹が立つ」と言っていた。誰かが夫の愚痴を言うだけでも、それは「のろけ」に聞こえてしまって腹が立つのだそうだ。

 

 カラスだって、本当はつがいでいたくないのかもしれない。どちらかが付いて離れないのかもしれないし・・・。でも彼女は自分にはもう戻らない幸せの風景を見るのがつらいのだろう。

 

 わかる。よっくわかる。私だって、実を言えば、夫婦で仲良くスーパーで買い物したり、旅行したりする話など伺ったりすることがあると、耳をふさぎたいくらい聞きたくないと思うのである。そして目の前で、だんな様の服の端をつかんでいる仲良し夫妻・・・、ああ。

 

 けれど、けれど、である。そんなことを気にかけていた日には、それこそ世の中を恨んでしまいかねない。自分自身をわざと、奈落に陥れるようなものだ。ぐっとこらえて、にっこり、である。そうしてそのうち哀しいことを忘れていく。

 

 哀しみは他のものに置き換えて、そう、自分自身を肯定しなければ。ささやかでも幸せはいくらでも転がっている。花を見る幸せや空を見上げる時に感じる幸せ・・・そんなものの中に生きている自分を肯定しなくてどうして生きていけようか。

 

  それにしても、現在のこの世相は、哀しみというシミが染み付いた世の相であるなぁ・・・と。派遣などと(効率第一主義の)企業に都合のよいシステムを生み出した世の中にも責任はあると感じる。派遣業など、江戸時代の口入れ屋ではないか。

 哀しみのシミならまだいい。それがどこかでねじれて、「憎しみ」というシミに変わったときに爆発的に事件が起こる。

 どこかに即効性あるシミ取りという鳥でもいないものか(~_~;)

 

2008/11/21

すべて投げ出す

  母の介護をしながら暮らして、最近は重石を5個くらい背負った気分。明るい介護を目差していたはずなのに。

 

 一番の重石は時間。自分の時間がない、自由に外出できない。これって私にはかなりのストレス。かといって出かけても母が気になってストレス。

 

 時々施設を利用しているものの、「ショートステイ」というのはいつも満杯に近くで、施設が空いていれば預かってくれる(預かってあげる・・・という雰囲気)程度。月に一・二度、二泊くらいがせいぜい。それに母自身が行きたがらない。ディサービスのほうも、行く前になると「胸が苦しい。今日はやめておく・・・」とだだをこねる。あげく怒り出す。

 

 先日、この頻脈は異常だと思い、臨時に病院に連れて行ったのだが、結局新しく薬が出るわけでも薬の量を加減するのでもなく帰された。要するに経過を見守るより仕方がないのだ。入院中は心房細動だった不整脈が、いまは心房粗動というのに変わったそうだ。頻脈も120というのは、これ以上とこれ以下で対応が異なる。微妙な数値のようだ。

 

 ということで悲痛な声で私を呼び続ける母に悩まされている。母は耳が遠いので、こちらが返事しても聞こえない。顔を見るまで叫び続ける。用事はトイレしかない。頻繁過ぎるので連れて行っても出ないこともたびたび。だいたい、母にどんなに言っても水分を取らないし。

 

 でも、もういいのだ。母はなるようにしかならない。私も随分長く生きてきたし、やりたいこともけっこうやってきた。なんか、今は、どうでもいい・・・そんなふうに半ば自棄している(自暴はしないから、まだいいか)。

 

 夢見るころは過ぎた。・・・と自分に言い聞かせる。  

 

2008/11/13

越えられない

 今日は母の体調がかんばしくなく、デイサービスを休ませた。息が苦しそうで食欲もなかった。その後、朝食はバナナ一本にリンゴを一切れ、ミルク少々を口にしたので、様子を見ようと寝かせておいた。母は一日中、お昼ご飯の時以外は実によく眠っていた。

 

 私は夜には中国語講座がある日。HSKの対策講座で私にとっては、かなりハード。昨夜は夜中に起きて復習し、まだできなかったので、きょうの午後もやっていた。4時ごろ、洗濯物を取り込んで化粧も済ませ、服も着替えた。そして母の面倒は妹と交代して、さあ出かけようとした。

 

 ところが・・・

 やって来た妹が母の体調不良を聞いて動揺してしまったのだ。なぜ知らせなかったと言うし、私が出かけると悩むというのだ。結局、「様子を見て病院に電話して連れて行くから」と妹に言ったら安心して、「講座に行けばいい」と言ってくれたものの、すでに電車に間に合わなかった。私も妹にそこまで言われるとプレッシャーだった。

 

 それで、先週に引き続き講座を休んでしまった。

 

 ずるずる・・・

 

 高い山を登りかけては、ずるずる落ちる。絶壁のような崖に爪を立てては背丈ほど登ったらまた落ちる。私の中国語はいつになったら山を越えられるのか。人のせいにしてはいけない。でも・・・

 

 でも、まあ・・・ね。人生、こんなときもある。今は母のそばにいなさいと神様が言っているのかもしれない。いつかは、たっぷりと時間ができるときが来る。そのときのために、自習すればいいのだ。どうせ自分のために学んでいる中国語。

 

 越えられない山は、私の目標であり、愉しみなものでもある。私は諦めない。いつか必ず・・・

 

 母は夜もスースー寝ている。脈は常時120くらいある。ほかにも気になる症状があるので明日も今日と同じようだったら本当に病院に連れて行かなければ。 

 

 

2008/11/6

逝き方の選択

歳取るとはこういうことか、と思うのは

訃報に接することが増えたことです。

 

 

幼いころから親しくしていた従兄弟が亡くなって

ここ三日間、岐阜県まで往復していました。

 

 

66歳。定年後、会社の外郭団体に籍を置いていたので、まだ現役。

市長やら副知事まで来賓席にいて、りっぱなお葬式ではありました。

 

が、そんなもの!!!

 

 

生きていてほしかった。

ただただ、そう思います。

 

 

 

この従兄弟、癌だったのですが、途中から病院での治療をやめてしまいました。緩和ケアしながら仕事をしていて、亡くなったのは自宅です。

 

連休の初めだったので、遠くにいる娘夫妻や息子夫妻、孫など全員家にいたときだったそうです。

 

なんと幸せな亡くなり方!

イギリスにゴルフをやりに行くよ・・などと言っていたのは実現しませんでしたが、10月の半ばには私の母の見舞いにも来てくれたほど、ふつうに生活をしていて、なんだか、映画「最高の人生の見つけ方」を思い出しました。

 

 

点滴につながれて、やりたいこともできずに少しばかり長生きするよりよほどいいと思います。

 

悲しい訣れでしたが、亡くなった顔は、まるで微笑んでいるかのようでした。その穏やかな顔に接したのがせめてもの慰めでした。