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2009/1/30 シンちゃん私の母の名前はシン。今回入院したのは5階の整形外科病棟。9日まで入院していたのが4階の内科病棟。その4階の看護師さんや補助の女性たちが「シンさん!」と顔を覗かせてくれたのです。もちろん用事のついでに、ちょこっと立ち寄った程度ですが。
「かわいい~!!」ですって。私の母、かわいいおばあちゃんみたい。
内科病棟にいたとき、ふつうに「シンさん」と呼ばれ、「シンちゃん」と呼ぶ若い看護師さんもいました。私は、ぷっと吹いておりましたが。
私と妹が交互に、朝昼夜と食事介護や口腔ケアに行っていますし、母は得な性分(運命?)かも。術後の経過も順調で、いまはそれなりに元気にしています。
今後は、とりあえず、今までデイサービスなどでお世話になっていた老人保健施設に預ける方向で動いています。私一人では、すでに家で看る限界でした。本当は有料の老人ホーム、もっと待遇のよさそうなところを考えていたのですが、いますぐ空いているところはないので。
この老人保健施設の相談員と会うのが2月の3日と決まりました。この種の人たちは、どこも人手不足で忙しく、やっとその日なら「会ってあげる」みたいな有様です。
ケアマネージャーさんいわく「病院には、いま手続きの最中だからと押して、少し長くいさせてもらいなさい」とアドバイスをもらいました。先が見えていれば、病院側も少しは考えてくれるそうです。きっと、必要以上に長居する患者さんがいるのでしょう。それに、やはり政府の方針で、長く病院に置かないようになってきているようです。看護師長さんも役目柄仕方がないところがあったかもしれません。
ということで、また長く書いちゃいましたね(^^ゞ
皆さま、若いうちから骨を丈夫にしておきましょう。シンちゃんは、骨折は3回目です。毎日牛乳を飲んでいたのですが、それでも肋骨、背骨、今回の大腿骨と。女性は心がけていないと、高齢になってから骨がもろくなるようです。
甘えん坊、寂しがりのシンちゃんを、また看に行ってまいります。
2009/1/26 冷たい医療母が骨折した。大腿骨骨折。今月の9日に退院後、心不全はかなり改善して、頻脈も改善。ときどき老健施設を利用しながら、家でまあまあ過ごせるようになった矢先だった。昨日の夕方、私が外に洗濯物を取り込みに行っている隙に、一人で歩こうとしたのである。音がしたので慌てて駆けつけたら転んでいた。痛がるので救急車を呼んだ。
今日の午後、不整脈の状態を見ながら手術。金属で補強したのだ。手術時間は病室を出て帰ってくるまでに二時間。無事終了した。輸血もしたが、大丈夫そうである。
それはそれとして。
病院は、抜糸が済んだら退院というのだ。看護師長さんの言うのには、「治る見込みのある方なら、リハビリしますし、もっといてもらいます。でも(高齢だから)よくて車椅子に座れる程度、ほとんど寝たきりになります。今までより確実に状態は悪くなります。下手に半端に動けない方がいいでしょうし・・・」
ここまで聞いて怒りが込み上げた。治らないから早く出て行けだって?リハビリも一週間しかしない? 半端に動けないほうがいいって、それは看る側の都合じゃないか。
ひどい!!!
確かに、母を看ていて、いっそ動けない方がらくだと思ったことはあった。けれど、あまりにもしんどいとき、たまに、ちらっと思うだけである。それを医療機関の人にしゃらっと言われてみると、ひどく腹が立つ(看護師長さんは「動いて、また怪我をすると本人にとってよくないから」と付け加えたが)。
たとえそれが事実であっても、もう少し言い方があるだろうに。それでもって、退院後に預ける施設のことをソーシャルワーカーに相談した方がいいと言う。つまり家では面倒を看られない状態で追い出すのである。
ひどい。けれどこれが現実なのだ。日本は高齢者にやさしくない国だ。
2009/1/13 母さんと会話
「88年生きてきて、どうっだった?」 「なんにもない」
「なんにも、って。幸せだったと思ってる?」 「なんにもないから、幸せじゃない」
「えーー。幸せじゃないの? たとえば母さん、父さんとあちこち旅行に行ったじゃない。よかったでしょう?」 「旅行は行ったよ」
「ヨーロッパも行ったしカナダも、オーストラリアも」 「うん」
「それって、幸せじゃないの」 「よー行った」
「国内だって、北は利尻礼文、南は竹富島まで、あっちこっち行ったじゃないの」 「うん、よー行った」 「そんだけ?」
「あんなに「おかあちゃん、おかあちゃん」って言ってた父さんのこと、時々は思い出してるの?」 「思い出さん」
「えー、どうして? 夢に見ないの?」 「夢なんか見いへん」
「冷たいね。あの世でお父さん怒ってるよ」 「なんにも思わん」
「なんなの、お父さんのことなんにも思わんの?」 「はよぅー、死んだ」
「なにが早いの? 84なら天寿を全うしてだわ・・・」 「ちょっと、お便所まで連れてって」
2009/1/12 お尻係り9日に退院してきた母、家では元のように、絶えず私を呼んでいる。今朝、6時に起きてから二時間ほどの間に、トイレ7回、何も用事がないのに呼んだのが4・5回。呼んだけれど聞こえなかったことにしたのが数回。おー、おー、そんなに呼ばないで。
「私はA子じゃないよ。ひょっとしたらわるい子だよ、だから呼んでも来ないよ」と冗談で言った。
母は、 「じゃ、わるい子ぉ~、わるい子ぉ~」
ん、もう!!!
とにかく、私は母のお尻係り。リハビリパンツを下げて拭いて、上げて・・・。一日中、母のお尻を見ている感じ。
「お尻かじり虫という歌があるけれど、このお尻、虫も横向いて通るよねぇ」と私。 母は「お尻かじり虫ぃ~」とニコニコ。
あー、ん、もう!!
着替えに、身体拭き、歯磨き、食事の世話、薬の世話・・・生活全般が乗っかっている。そのほかタイクツだと言っては呼ぶ。手の届くところに食べ物を置いておくなら食べてしまう。結局タイクツだから食べる。取り上げる。まったく、でっかい漬物石のような子供がいるようだ。
母には、明日から週三回ディサービスに行ってもらうことにした。送り出しと迎えの時間は厳守だけれど、母がいない間、お尻係りから解放される。
2009/1/10 玩具津村節子の小説に『玩具』があった。内容は大部分忘れてしまったが、板前が、生きている魚の内臓を傷つけないように残して身をそぎ、頭と骨だけで水槽の中を泳がせて見せている・・・というようなグラビア写真を話題にしているところが印象に残っている。
胸のところをすっとかみそりで切られたような痛さを感じた。
妙なことを思い出した日。外は薄ら寒い曇り空。暖房利かせて部屋にこもり、水槽の中にいるみたいな気分。 2009/1/8 時代の変化世界的な経済不況にあって、日本の企業は、企業を守るために派遣社員をあっさりと切り捨てている。派遣とはそういう身分のものだとは言え、気の毒でならない。社宅を追い出され、すぐにでもホームレスになってしまった人がテレビに映し出され、年末年始は、炊き出しの食事を有難く食べているところなども放映されていた。
突然の解雇とは、なんと理不尽!!
が、一つだけ私には不思議に思えることがある。人それぞれ事情がちがうので、一束にして語るのは間違っているとは思うが、ただ素朴に思うのは、「この人たち、貯金が全くないの?」である。クビ、即ホームレスの構図が私には理解できない。派遣社員は、そこそこに収入があったはず。それをすべて使ってしまったの? 若い二十歳そこそこの人なら、学校を出たばかりだからまだ分かるが、そうではなさそうであるし。
私は団塊の世代。私が結婚した当時(30数年前)は、生活費(ほとんど食費が占めた)だけで精一杯のお給料でも、僅かながら預金を心がけていた。思い出せば、新婚のあの団地で、初めは電話も引いていなかったし、車などもちろんなかった。お風呂を沸かすガス代も節約して・・・でも不便を感じなかったし幸せだった。あのころは、日本の経済も成長期にあったし、派遣社員などという名称は聞いたこともなっかったから、よい時代だったのかもしれない。
時代が変わったのだと感じる。現在は携帯電話やインターネットの費用など、昔はなかったものの費用が要る。そして消費社会。みんなお金がなくても我慢をしない。また、消費がなければ景気がよくならない。よくならなければ雇用もない。この循環、どこか変だと思う。
堅実が美徳だった時代は過ぎ去ったのだろうか。政府は定額給付金を出して消費を促す方針のようだが、そのようなことをして、みんなの心が豊かになるのだろうか。現在のこの時代の在りようが不安でならない。
2009/1/7 老人はさみしい長いこと更新してなかった・・・。気持ちに余裕がなかったのである。
母は、昨年12月の18日に心不全で、再び入院。水抜きと脈の調整をしたところ、もとのシワシワおばあちゃんになり、脈も120あったのが70くらいまで下がってしまった。血圧も正常値。すごい、すごい! もちろん、薬を飲み続けているお陰ではある。
お正月は外泊して三が日を我が家で過ごし、今はまだ病院にいるが、じきに退院できそう。めでたし、めでたし。と言いたいが、介護する私はまた大変な日々が始まるんだろうなぁ。
この母、病院でナースコールしてばかりいる。トイレとかベッドの上げ下げなどの用事ならいい。用もないのに押すのだ。なぜなのか聞けば「おもしろいも~ん」。こら、こらっ、なんてやつだ。
昨日は看護士さんに「あのねぇ、わたし、話し相手がいないの」と言ったそう。それで看護士さんは、母を車椅子に乗せて看護詰所に連れて行ったのだとか。看護士長さんの横に置いといたそうだ。車椅子に座らせておくと、じきにウトウトし始めるから、どのみち話などしないのだけど。
この母にお友達でもいればいいのだけれど、いてもすでに高齢か他界されているので、見舞いに訪れる人もいない。親戚は・・・、遠い親戚は母を気遣って来てくれた。ところが近い親族は誰も来ない。来ないのは母の血縁関係である。この状態になって長いので、母のことはすでに知れ渡ったのにである。 実を言えば、初めはひた隠していた。見舞いに来ていただけば、相手方の時間をとらせ、多少なりと散財であろうし、義理で来ていただくのならいらないと思っていたから。でも、母のことを思うと、今は賑やかしに来ていただけたらと、ちょっと切なく思う。
考えすぎかもしれないが、母のことだけでなく、このところ感じるのは、父も夫も他界して、女二人の家になって、皆さんの義理も薄くなったのかも。男尊女卑とまではいかないが、世間とはこういうものなのだろう。でも、こういう状態になったときこそ、義理か、そうでなく心なのか、人がよくわかる。
どんなときも変わらず気遣ってくれる人を、こちらも大切にすればいい。私も、義理ではなく、人を気遣うことを忘れないようにしたい。
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